イチャイチャすんだろーなぁきっと。が、ふたりの男の背中を見送った時点で彼女のおもったことだった。
テーブルのうえの酒ビンをひとつずつゴミ袋に放り込んでいく。ガラス同士がぶつかる音をぼんやり聞きながら、頭のなかが向かうさきは、ふたりがいるはずの浴室だ。ぜってー近づかねーようにしよう。じゃなきゃ何見せられるかわかったもんじゃねぇ、と、ついたため息にほんのすこし混ぜてしまったのは、さびしさだった。ソファを振り返る。恋人は相変わらず冬眠中で、いつ春を迎えてくれるのかは少しも予想がつかない。
せっかく会いに来てやったっつーのによ。会えないことを理由にやらかしてくれた挙げ句、会いに来てやったところで無意味なこの状況を自分からつくってくれた恋人を、彼女は出会ってはじめてバカだとおもった。もういちどため息をつきながら、いっぱいになった袋を眺める。よく見る日本のメーカーから解読不能な外国語のロゴまで、色とりどりなこの中のいったい、どれくらいの割合を彼は飲み干したっていうんだろう。
兄にいたずらを仕掛けてた銀髪は、目が合ったとたん気まずげにするくらいにはもう正気だ。なのに銀髪より間違いなく酒に強いはずの彼がまだ意識不明なのだから、ふたりで平等に半分ずつじゃないのは確実で、半分だってありえない量なのにそれ以上だなんてよく死ななかったなと彼女は、心配を通り越して飽きれてしまうのだ。
医者がアル中になってりゃ世話ねーぜ。袋のくちを力いっぱい縛りつけた拍子に、中からいろんな酒のにおいでできた空気が一気に漏れ出て、イライラした。なんでこんなことをしなきゃならないんだろうと、今さらおもえてきたのは、自分だけがひとりぼっちなのがひどく不公平な気がしてきたからだ。
兄さんばっかずりぃ。できあがった酒ビンのかたまりを、わざと足で部屋の隅に蹴り寄せる。ガチャガチャとひきつったガラスの音を立てたところでやっぱり彼は起きなくて、余計イライラした。あとはテーブルを拭いてゴミを外に出すだけだ。戻ってきたらあのふたりにやらせようと、ささいな八つ当たりを心に決めて彼女は、彼のほうに近寄っていった。顔が、うまく覗き込めるような場所に座り込む。
青いままの顔色のわりに、彼の呼吸はおだやかだった。汗なのか酒なのかわからないものでべとついた前髪を、彼女はそっと引っ張ってみた。

「バーカ」

マダオ、アル中、ロクデナシ。思いつくだけの悪口を、ぶつけるだけじゃ気が済まなくなった。いたずらと、それから起きてほしい気持ちを込めて指のさきできゅ、と鼻をつまんでやったら、彼の眉がほんのすこし動いた。
起きンのかな。おもわず髪から手を離しながら、目の前で震えはじめるまぶたを、じっと見つめる。

「…ンあ?」

目醒めた彼の第一声はそれだった。とぼけた声と顔に彼女は、吹き出した。聞き取れないことばでなにかを唸りながら彼がからだを、起こしはじめたところで起ききれずに結局、肘を支えに上半身をうつぶせに浮かせる。
不機嫌そうにゆがんだ目はけれど、彼女を見つけたとたん嬉しそうに笑った。

「とーし」

こいつ、まだ酔っぱらってやがる。からだごとむかってこようとした彼がソファから転げ落ちる前に、両手で肩をおさえてやりながら目を見開いてしまったのは彼が、あんまり無邪気な顔をしていたからだ。もしかして、さっきの銀時みたいに彼も甘えてくるんだろうか。いつもの余裕の表情をぐにゃぐにゃに緩ませて、強引なことばをすがるようなことばに変えて、 すり寄ってくるんだろうか。
やべ、笑えてきた。もういちど起き上がろうともがきはじめたからだを背もたれに寄りかからせてやりながら、さっそく含み笑いをこぼした彼女の期待は、裏切られなかった。伸ばした片手で彼女の髪をぐちゃぐちゃとかき乱してきながら彼は、子供みたいにくちをとがらせたのだ。

「おっせーんだよくンのがよぉ」
「っぶ」

ダメだ、我慢できねぇ。こみ上げてきた笑いをくちびるを噛んで閉じ込めたのは、酔っぱらいの機嫌を下手に損ねたらめんどくさいことになるのを知ってるからだ。おかげで喉のほうへ逆流していった笑い声に、苦しくて涙がこぼれて、うつむいた、拍子に目じりに伝っていったしずくを、拭いとるゆびに自分のじゃないゆびが重なってきた。
いつもよりずっと、たよりない動きに顔を上げたら彼は、負けないたよりなさで眉を落としていた。

「なぁくなよ。おれがわるかったからよぉ」

正気のときには考えられないような弱気な声だった。
笑いを、苦笑いに入れ替えて彼女は、彼よりだいぶ丁寧なちからでべとついた髪を撫でかえしてやる。

「気にしてねーよ、もう」
「そぉか」

もとどおり満足そうに笑った彼は、笑ったまま今度はもう片方の手を伸ばしてきた。気遣いなしのちからで肩を引っぱり寄せられる。痛ェな、とおもったときにはもう、目の前に酒くさいくちが近づいてるところだった。
そーいやこいつゲロ吐いてんだった。いつもの流れのまま抱きついていこうとした両手を慌てて、彼を突き放すのに使いなおしたら彼は、どこにも触れられないまま行き場をなくしたくちびるをまた、不満そうにとがらせた。

「ンだよ、なぁんでちゅうさせねぇんだ」
「や、あのな、アンタさっきゲロ吐いてっから。ゲロ吐いたくちでチュウされんのは俺、ムリだから」

できるだけ柔らかい声をとりつくろいながら彼のからだを押し戻す。せっかくのさりげなさをけれど、まるきり無視した乱暴さでもういちど彼におもいきり引き寄せられた。

「げろなんざぁ、吐いてねーよンなもん」
「吐いてなくねーんだって」
「吐いてねー」
「いや吐いたっつってんだろ」

しょうがなくいちから引きはがしなおして、離れたところでまた引き寄せられて、を、繰り返すのが彼女はだんだんバカらしくなってきた。

「…わかった。吐いたか吐いてねーかはこの際もうどーでもいいから、歯ァ磨いてくれ。そしたらいくらでもしてやる」

と、目の前数センチにまで迫ってきた彼の顔を手のひらで食い止めながら、譲歩してやる気になったのはバカらしくなるくらいキスひとつをほしがって駄々をこねる彼に、だからってほだされてしまったせいだけじゃない。
酔っぱらいでもかまわないくらい、彼のキスをほしくなってしまった自分のせいもあるのだ。

「しょーがねーなぁ」

それ俺のセリフだろーが。一瞬沸き上がった憎たらしさで彼女は、吐き出し場所のない気恥ずかしさを誤摩化すことにした。立ち上がって背を、向けたとたん手首を掴まれる。

「どぉこいきやがんだ」
「歯ブラシとってくんだよ。すぐもどってくっから」

丁寧に彼を振りほどきながらため息をついたのは、近づくつもりのなかった場所にこれから近づかなきゃならないせいだ。踏み出したくない足を踏み出す。
リビングのドアを抜けて、トイレの向かい側のドアのまえに立ったところで彼女は、もういちどため息をついた。今度は覚悟のため息だ。そっと、すこしだけドアを開けてみる。隙間からのぞいた脱衣所には誰もいなかった。あるのはシャワーの音だけだ。
すばやく、それでいてできるだけ静かにドアを開ける。いったいなにが起こってるのかわからない浴室のほうを、見ないように飛びついた洗面台のまえでけれど、彼女は呆然とすることになった。

「っ俺の、」

お気に入りの歯ブラシが、得体の知れないナニかをブラシにこびりつけながら洗面台に転がっていたのだ。

「俺の歯ブラシになにしてくれてんだァ!」

叫び声の、直後に飛び出てきた銀時は丸裸だった。
背後にはタイルに投げ出された兄の足が見えるし、まったく見たくもなかった男のからだと身内の濡れ場に気恥ずかしさと腹立ちのままふざけんじゃねぇと叫んで戻ってみたら恋人は気持ちよさそうに冬眠を再開してるしで、踏んだり蹴ったりに泣きそうになりながら自分の家に駆けもどった彼女が、ふたりの男になだめすかされて部屋から出たのは、それから数時間後のことだった。


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ここまで書いて気づいたんですけど、これ、どーやって終わらせればいいんだろう。
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