精一杯駆使してきた俺なりの優しさと厳しさに、無条件で懐いて甘えて頼ってきてくれた大事な妹が目の前で悲しい目に遇わされるのを見たのは、一年くらい前のことだ。
父親がいなくなってしまったことに心細さを抱えてたに違いない母親のことをおもって、新しい父親という男に努力して慣れようとしてた俺よりも、甘え上手な妹のほうがずっと自然になついたのはあたりまえのことだった。俺より妹のほうに男が近づきたがるのもだからあたりまえだとおもっていた日々の午後、学校帰り、家のドアを開けて俺が最初に見たのは、父親より本能を優先した男のからだに、下敷きにされた妹のすがただった。
まくれあがったプリーツスカートから露出した白い足に、忍び込んだ男の手を、細い腕で必死に食い止める妹の、涙にまみれた死んでしまいそうな目に、死にそうになったのは俺のほうだった。死ぬほど殺してやりたい衝動に飲み込まれるまま男を殴り続ける俺の手を、掴みとった妹の手は震えていた。
そんなヤツのせいで兄さんが人殺しになることねェよ、と、真っ青な顔で無理やり笑った妹より、世間体をとった母親に誰よりも絶望したのはきっと、妹自身だっただろう。兄妹ふたりで住むことになった新しい家の場所を、俺はいまでも母親には教えていない。あの女が知ってるのは、俺の銀行の口座番号と、それから携帯の番号だけだ。
男の影なんてひとつも染みてないはずの家で、それでも妹は、何度も夢のなかで同じ目にあうんだと泣きながら俺の部屋に逃げ込んできた。
ひとりで出歩くこともできずに、他人の男とすれ違うだけでも顔を強ばらせていた彼女が、なにより怖がったのは家のなかだった。ひとりで家にいれない彼女のために俺が部活を早退したのは両手の指で足りる数じゃない。
俺のすがたが見えなくなる場所には決して近寄らなかったり、皿のすべり落ちる音ひとつで怯えてしがみついてきた彼女が、ようやくそのへんの女と変わらないくらいの生活ができるようになってからも、気がついたら習性になっていた自覚しざるをえないくらいの過保護ぶりを、貫き通してこれたのは、たまに眉をひそめながらも彼女が、本気で嫌がってはいないことを知ってたからだ。なにがあっても守ってみせる覚悟を持った俺に、素直に守られてきた彼女が、恋人だと言ってやたらと目つきの悪い男を紹介してきたことは俺にとって、だからはじめての彼女からの反抗だった。
大嫌いなんて言われたのもはじめてだ。正直俺は、泣きそうだった。部屋の向こうに消えていく彼女の荒っぽい足音を追いかけることもできずに、ソファに膝を抱えてうずくまってしまった俺の背中を、さすってくれる彼の、いつもどおり甘い声が吐いたのは、けれど甘くない言葉の雪崩だった。フェアじゃねーよなァ。月に一回見れるかどうかの生き返った赤い目をして、彼は言った。オマエとあの子で、抱えてるモンは違うけどよ。そんでもオマエは、俺と付き合うよーになって救われた部分っつーのがあるわけじゃねーか。
だったら、あの子にだってそーゆう相手つくる権利はあンじゃねーの。説教じみてるはずの彼の言葉は、すこしも重たく感じさせないだけの柔らかさがあって、彼が、大人なんだと妙に実感させられたのと一緒に、俺は、自分がひどく子供になった気がした。わかってンだよ。俺にはどうにもしてやれねーことも他のヤツにならどーにかできるかもしんねーんだってことくらい、わかってっけどさ、だからってアイツがちゃんと、どーにかしてくれそーなヤツ選べるかどーかまではわかんねーだろ。
あんなアブねー目したヤロー、どーやって信用すりゃいいっつうんだ。膝のうえに押しつけっぱなしのくちから漏らした俺の、くぐもった声に、だァいじょぶだって、と、返してきた彼の声は、腹が立つほど能天気だった。あのヤロー、確かに目つきわりーし性格もわりーしぶっちゃけ素行もわりーけど、バカじゃねーからよ。あの子に手ェ出すのがどーゆうことかくれーちゃんとわかってンぜ。
どーゆうことかってどーゆうことだよ。つぶやいた俺の頭をグシャグシャにかき乱しながら、ンなもん、俺見てたらわかンだろ、とつぶやき返された彼の言葉に誘われて、ようやくあげた視界のさきには、みっともないくらいに崩れた笑みの彼がいた。
オマエらキョウダイに夢中になんねー奴ァ、バカ通り越してカスだね。
自信に満ちた彼の声と、それにすこしも見合わない情けなさで垂れ下がった眉尻に、そのときの俺が、いままで一生懸命守ってきた妹を、とられてしまった寂しさを引き連れながら信用してみる気になったのはほんとうだ。

「だからってそこまで許したつもりはねーンだよ俺ァ!」

自分でも哀愁を感じるだけの覚悟を決めてから二回目の土曜日、おなじ部屋のおなじソファの前で俺はいま、目の前の妹にむかって全力で怒鳴りつけている。
眩しくもなく暗くもない休日の青空を、窓越しに眺めながら、いつもみたいに泊まりにきた銀時も入れて久々に三人で飯を食いに出かける話になったのが数分前のことだ。晋助と食いに行く約束してンだ、と、すまなそうなくせに嬉しそうな妹に、残念だとはおもったけれどしょうがないなともおもえるようにまでなってた俺の、あんま遅くなんねーうちに帰って来いよ、とあくまで余裕をたたえてみせた苦笑いは、ところがつぎの瞬間粉々に砕け散った。
今日は、そのまま晋助ンち泊まるから。
白い肌をほんのすこし染めた妹が、自分の言葉の意味をわかって言ってるんだと、気づきたくないのに気づいてしまった俺の一瞬からっぽになった頭は、銀時のふざけた口笛を合図に一気に燃え上がることになった。

「許すも許さねーも兄さんの決めることじゃねーだろ!」
「決める決めねーの話じゃねーだろ!」

俺ほどじゃないけれど瞳孔の開いた目を、妹が限界までつりあげる。女にしては迫力のある目に取り巻く危機迫った状況を、けれどまるで無視した含み笑いを銀時が背後で噛み殺してるのは単純に、おもしろがってるからだ。ちくしょう、ブン殴ってやりてェ。

「オマエまだ未成年だろーが!ヤローの家泊まってどーこーなるなんざ冗談じゃねェ!」
「兄さんだって未成年のくせに銀ちゃんとヤりまくってンじゃねーか!」
「っ、な、」
「アハハハ!ちげーねェ!ちげーねェよそりゃあ!」
「天パは黙ってろ!」

決めた、今すぐブン殴ってやる。ヒーヒー言いながらソファのうえを転げ回ってる銀髪を力いっぱい掴み上げたところで、笑うのを止めない第三者は俺にとっては敵でも、彼女にとっては味方だ。言っとくけど、とやけに堂々とした声に振り返ったさきで、まっすぐに背筋を伸ばしながら俺を睨みつけた彼女の言葉は、俺にとっての最終宣告だった。

「俺、晋助とはもーヤったから」

ヤベェ、めまいしてきた。ぐらぐらと揺れる思考に流されるまま、呆然と突っ立ってる俺とは反対に、マジでかっ、と、銀時が妹に勢い良く食いついてくのが視界の端で見えた。いつ?え?つーことはアイツ、三日も我慢できたの?すげーなオイ勲章モノよそれ。で、どーだった?えー?うっそだァ。だってアイツ、俺がイけりゃそれでいいとか平気で言う男だぜ?

「あのオレサマセックスヤローにンなことできるわけねーって」
「…っと待て」

意識的に聞き流していたふたりぶんの言葉に、とうとう引っかからずにいられなかったのは、直感だ。確かに俺はヤリまくってるさ。だってしょーがねーだろ。この年でセックスに興味ねー男なんざいねーだろ。だからって大事に育ててきた妹がそれとおんなじことするなんざ考えたくもねーけどよ、つーか考えねーよーにしてたけどよ、ここまできたらもういい加減諦めつけるしかねーよな。そりゃあ寂しいさ。寂しいけど、いつかは独り立ちさせなきゃなんねェ日が来るってことはわかってたんだ。それがいまだっつーんなら、しょーがねぇ。好きにしやがれ。他人の色恋沙汰にグダグダ口出す趣味なんざもとからねーっつうか、俺は俺で手一杯だからよ。
どっかのスッカラカンなバカ天パのせいでな。振り向いたふたりぶんの視線の、今度は赤いほうを睨みつけながら、わざとらしいくらい静かな声をゆっくりと空気に這わせた俺の顔は、薄笑いだった。

「あのヤローがオレサマセックスだって、なんでテメェが知ってンだろーなァ?」


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次回、ぎんさんとたかすぎのセキララな過去があきらかに…!
ってゆううたい文句をおもいついたあとにおもいついた題名です。懐かしい。
なにが困ったって、トップの説明文をどーするかが困りました。
終わった時点でテイクフリーにするつもりです。



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