「正直に言え」

約束より早い時間に鳴ったチャイムの音に、高杉が気分をよくしたのはドアを開けるまでのことだった。かわいい彼女とうりふたつの顔をしたまるでかわいくおもえない男から響いた低い声に高杉は、ひさびさに言葉を忘れた。

「アンタ、こいつとヤったのか」

そう言って男の手が掴み上げた襟首の持ち主は、かわいいどころかいつでも殴ってやりたくてしょうがない銀髪だ。
さらにその後ろから彼女のすがたを見つけてなかったら、無言でドアを閉めなおしてたかもしれない。青空をバックに、すこしも爽やかじゃない目つきで睨んでくる邪魔な恋人の身内と、相変わらず死んだ目を情けなく垂れ下げた憎たらしいくされ縁が並ぶただでさえ不愉快な光景を前に、投げつけられた言葉のおかげで高杉は、いまにも吐きそうな気分になった。
なんなんだいったい。わけがわからないながらすこしでも好きなものを見ていようと、探し当てた彼女のきれいな顔にはけれど、めいっぱいの軽蔑が浮かんでいて、吐きそうな質問への分かりきった答えをどうやら、彼女も待ってるらしいと、それだけはわかった。高杉はとりあえず、地面に向かってため息を吐いた。

「…なにがどーなってそーゆう話になったかは知んねーけどよォ」

嫌々ながら視線を上げなおしてみる。そっくりな目をまっすぐに向けてくるふたりぶんの視線と反比例に銀時は、得意のわざとらしさで遠く空を見ていた。
テメェのしわざか。沸き上がった殺意をぜんぶ込めた目で、ほかのふたりに向かって銀時をつきだす。

「そいつとヤるくれーなら俺ァ、駅前の弁当屋のババァとヤってやる」
「ちょ、オマエそれ言い過ぎじゃね?!あのババァ以下ってオマエ、」
「テメーは黙ってろ!」

死んだ目がすこしだけ生き返ったのは一瞬だった。男のひとことでふたたび殺された目を、重力のまま垂れ下げることになった諸悪の根源にむかってあざ笑いを送ってやれたのもけれど、一瞬だった。

「じゃあなんで、アンタがオレサマセックスだとかイけりゃそれでいいって言ったとかコイツが知ってンだよ」
「っ、銀時テメェっ、」

青い空と、彼女とおなじきれいな顔に、まるで似合ってない言葉の羅列のおかげでいちど空っぽになった頭を埋めてくれた焦りに高杉は、我を忘れた。忘れた自分に舌打ちするだけの理性を取り戻したところで、余計なことを言わせたらそういえば天才だったと、思い出したついでに襲いかかってきたのは思い出したくもない余計な過去の記憶だ。
よりによってアレかよ。ろくでもない昔話の、なかでも目の前の子供ふたりの機嫌を損ねるにはとくに最高なページなんだと、わかってるからこそ丸投げしたらしい。呑気なフリで空を仰いだままの銀時に、殺意を通り越してうんざりする。
怖いもの知らずな高校生のころのことだ。高杉が適当に引っ掛けた女と銀時が適当に引っ掛けた男の連れてきた、何人かのうちの誰が持ってきたかわからないハッパにみんなで仲良く正気をなくした、問題はそこからだった。
気がついたら聞こえ出したどれかの女のあえぎ声に、男のあえぎ声まで混じりだしたころにはすでに乱交状態の、自分の抱いてる相手が男なのか女なのかもあやふやだった最後のほうで、ゲラゲラ笑いながら高杉とからだをいじり合った相手が、銀時だったことだけは、お互いどうしてかはっきりと覚えてるのだ。
ヤってないのは事実だけれど、だからって人生最大の恥をわざわざ自分の恋人のまえでなんて言いたくないのは高杉も銀時もお互いさまで、だからってなにも言わないですませてくれない程度には白黒はっきりつけたがる性分の、兄のほうにどうおもわれようとどうだっていい。けれど、彼女の機嫌を損ねるのはできるだけ避けたい。
かわいい恋人は一途で、そのぶん潔癖だ。ハッパだとか乱交だとか、高杉自身にしてみればただの若気の至り程度な過去を、今にまで引っ張ってこれるくらい彼女にとってはモラルからはずれたものどものはずで、ありのままに言ったりしたらそれこそ、口も聞いてもらえなくなるかもしれない。じゃあどこまでをどういうふうに言えば納得してくれるんだろう。考えるのをさっさと諦めた共謀者のぶんまでしょうがなく、高杉は考える。

「つーかよ、」

考えて、考えた挙げ句ぶちあたった疑問に高杉は、答えてもらってるあいだにうやむやにしてしまえないだろうかとまずは期待することにしたのだ。

「なんでンなこだわってンだ?アニキのほうがどーだかは知ンねーけどオマエは、」

と、言いながら集中させた視線に彼女は、ふいをつかれたようだった。ずっとしかめてばかりだった顔をはじめて、高杉にむかってほんのすこしだけゆるめてみせる。

「いままで俺の昔のオンナのこと聞いてもどーこー言わなかったじゃねェか」
「…言わねーようにしてたんだよ」

気まずげに目を伏せた彼女の、つぶやいた声が甘えて拗ねてるようにしか聞こえないのは欲目なんだと、わかっていてもやっぱりかわいかった。頭をかくついでに地面へ伏せた、場違いに緩みそうになる顔が、けれどもとどおり上がるころには引きつってしまったのは憎しみのせいだ。
かわいいと、おもうまま好き放題に彼女をかわいがってたはずの未来を吹き飛ばしてくれた銀時が、憎くてしょうがないぶん余計に、どうなるかわからないこの先を考えて高杉は、彼女をしっかり眺めておくことにする。

「終わったことどーこー言ってもしょーがねーし、いちいち妬いてたってキリねェってわかってっけど…実際目の前にしたらやっぱ、腹立ってさ」

それに、と、言いながら勢いよくあがった彼女の顔は、けれど元通りのしかめっつらだった。

「相手は兄さんの恋人だぜ?これからさきもしょっちゅう顔合わせて、そのたんびに胸くそわりー思いするなんざ冗談じゃねェし、だからって別れてほしーなんておもわねーし、俺だってアンタと別れるつもりねーし」
「ケジメつけさしてもらいに来たンだよ」

すこし高い位置から響いた低い声を、追いかければ彼女とおなじ顔が目を細めながら高杉を睨みつけてくる。
やっぱ全然かわいくねェなァ。おなじ顔なのにどうしてここまで違うんだろうと、いっそ感心しながら条件反射で睨み返した高杉から、反らされた彼の目はつぎに、相変わらず知らないふりを貫き通していた銀時に向いた。
さっきよりずっと強いちからで引っ張り上げられたシャツの襟に銀時が、喉からうめくのと、彼の目がもういちど高杉のところに戻ってきたのは同時だった。

「もしアンタがコイツとヤったっつうんなら、アンタらふたりとも俺とトシで一発ずつぶん殴らせてもらう。それでこの話はぜんぶ終わりだ」
「…なるほどねェ」

キョウダイそろって体育会系っつうのも考えモンだよなァ。話まとまンのが早すぎていけねェ。うやむやどころか潔よすぎる話の決着に、高杉はまた考える。ほんとうのことを知って間違いなく引くはずの彼女に、機嫌をなおしてもらうまでの時間と労力は未知数だ。だったら殴られたほうがマシな気もするけれど、だらかって、いくら正気じゃなかったにしても触って触られただけで一生の恥だとおもわせてくれる男相手に、嘘でもヤったなんておもわれるのも許せない。

「…さっきも言ったけどなァ、」

しょうがねェ、テキトーに話つくるか。最低限の被害に留まる程度で、信憑性もありそうな作り話を頭のなかでさぐりながら高杉が、ふたりからつい目を反らしたのは、そっくりなふたりぶんの目がどっちもあんまりまっすぐだったからだ。たかが子供ふたりに、簡単に見抜かれない嘘をつける程度には曲がってる自信はあるけれど、まっすぐなものにまっすぐ返せない自分に後ろめたさを感じれるだけの情だってあるにはある。
テメェにだったらン十万の布団だって余裕で売りつける自信あンだけどなァ。まっすぐの真逆をいく落ち着かなさで目を泳がす銀時にむかって高杉は、自覚してるだけの目つきの悪さを最大限にとがらせた。

「俺ァそこの天パヤローとはヤってねェし、この先死んでもヤりたくねェとおもってる」

むしろ顔も見たくねェ、と、うなった高杉に、ンなもんこっちのセリフだ、とうなり返してきた銀時は、けれど相変わらず猫の子みたいに襟首をふんづかまれたままだった。
なんで俺がこんなどーしょもねェヤツのとばっちり受けなきゃなンねーんだ。あからさまに吐き出した大きなため息の、みなもとは、いつも以上の憎しみとそれから、諦めだった。

「けどな、ヤってンの見られたことはある」

高杉は、正気じゃなかったのを酒のせいだということにした。
何人いたかもわからない男と女を、自分に対して女ひとりと銀時に対して男ひとりにまで減らしてみたのは、あくまでお互いそのとき付き合ってた相手だと主張するためだ。
しかもその相手以外には指一本触れてないんだと、事実にくらべたらだいぶ常識的な作り話をさりげない言い訳つきで終えたあとで、いちばん最初にもらったのは彼女からの、サイテー、の一言だった。サイテー。信じらんねー。なに考えてんだアンタら。
そっくりな目とそっくりなくちびるで本気の軽蔑を山ほどぶつけてくれたふたりは、しばらく顔見せんな、の捨てゼリフとともに、立ち去る後ろ姿までそっくりだった。
しばらくっつーのはどンくらいだ、と、声にする気力もないまま突っ立っていた高杉に銀時が、飲むかァ、とつぶやいたのは、隣の家のドアが閉まった後のことだった。


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寝ゲロはいります。誰がなんと言おうとはいります。


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