「オニーサンわりィ、そいつ俺の」

銀時はわざとチャラついた笑みを浮かべて見知らぬ男の手から彼の肩を引き離した。かわりに自分のものにしたその肩はひどくこわばっていて、それが男のものだったときからなのか自分が手に入れてからなのかはわからなかった。
今ケンカ中でさ、さみしかったみたい。うん、マジわりィ。カワイイ子そろってる店紹介するし、今日のとこは見逃してやってくれや。
しょうがねぇなぁ。男は銀時が渡した店の名刺をジーンズのポケットにさりげなく詰め込むと、苦笑いひとつ残したきり、彼と銀時に背を向けた。肌寒い風をTシャツからむき出しの腕で受け止めながら、蛍光色の街に吸い込まれていく男の、後ろ姿だけは、いま銀時の隣でかたまっている彼の年とたいして変わらないようにみえた。
単純な交渉だけで消えてくれてよかった。銀時はちいさく息を吐く。下手に絡まれたら走って逃げるつもりだったけれど、酒の入った身体で全力疾走はできれば勘弁してもらいたかったのだ。逃げずに乱闘へ持ち込んでも勝てる自信は十分にあるけれど、それは自分ひとりの場合で、隣にいる彼を巻き込むわけにはいかなかった。自分の立場からしても、彼の抱えているだろう気持ちからしても。

「ったく、若作りしすぎだっての。もーちょい自分の年考えたアプローチ生み出せコノヤロー」

なぁ?と、できるだけどうでもいいふうな口調をつくった銀時が、今日はじめて覗き込んだ彼の顔は、銀時の想像したとおりのものだった。

「…なん、で」

そんな死にそうな顔すんな。言葉にするかわりに、銀時は抱いた彼の肩をからだごと引き寄せて歩き出した。ほとんど変わらない高さにある彼の肩は骨張っていて、見た目よりもずっと危うげだった。
引きずられるままの彼の短い髪が、足を踏み出すたびにさらさらと銀時の頬を撫でつけていた。洗って乾かしたばかりのようなさわやかな匂いがした。こんなきれいなものがさっきの小汚い男なんかに委ねられていたことを考えると、すこし腹が立った。

「とりあえず場所変えような。ここあぶねーから。ビョーキ持ったおっさんと外人の魔境だから」

背中のほうで細く続く路地は、街灯が半分以上人為的に割られていた。今日みたいに晴れた夜空だろうと関係ない、立ちすくんでしまいそうなほどの暗さだ。
場末慣れした銀時だってあんまり進んで近寄りたくない場所だった。人通りといったらケミカルのバイヤーとハスラー、静注跡だらけのジャンキーくらいで、それに比べたら目の前をうめるピンクや黄色に照らされたホテルの海のほうがよっぽど健全なことは知っているのだ。
明るいホテル街を抜けて何本目かの脇道にそれると、そこには清楚な街灯が規則正しく照らす静かな夜があった。そのなかをさらに進んださきにあらわれた小さな公園に、銀時は彼を連れ込んだ。短い芝生のうえにおかれた白いベンチは少し湿っていて、銀時はそれに気づかないふりで彼を座らせた。座ったと同時に俯いてしまった彼の頭上を、不規則に点滅した電灯が薄暗く照らしはじめた。
彼の隣に身体をおさめたところでようやく、銀時は、ため息とともに言葉を吐き出した。

「おまえさ」

彼の両手が、ジーンズの膝を握りしめるのがみえた。

「せっかくカワイイ顔してんだからもっと相手選り好みしろ。初っぱなからあんなとこ連れ込まれたらトラウマになるぜ」

かたく閉じた彼の薄いくちびるを横目に、銀時はポケットからタバコを抜き取った。クシャクシャにつぶれたソフトケースを上下に軽く振って、折れ曲がりかけた一本をつかみ取る。
アニメのロゴが入った百円ライターで火をつけたところで、おもいきったように銀時をみつめた、彼の目に、いつもの強さがないことを当然だとおもうと同時に、間に合ってよかったとおもった。あんな危ない場所がふつうだとおもわれたら同類として困るし、それに、彼が可哀想だ。こんな必死な顔をするほど彼にとっては重たい計画を実行に移した、彼の覚悟をおもえば、はじめくらいいい思いをさせてやりたい。

「っなんで、アンタがあんなとこにいんだよ」
「おまえと一緒だよ」

つり気味の彼の目がせいいっぱいに見開かれた。だいぶ弱ってんな。銀時は煙を吐くついでに苦笑いをこぼす。そうじゃなきゃ、生意気で負けず嫌いな彼が、こんなにあからさまに怯えた顔を人にみせるはずがない。
ずいぶん長い間悩んだんだろう。銀時はおもった。ガラは悪いし口も悪いけれど、それは彼の警戒心が強い証拠だ。自力でどうにもならないものにはじめて出会う恐怖は、きっと人一倍強い。

「土方くんとおんなじ」

銀時が、彼をまともに名前で呼んだのはこれがはじめてだった。
仏頂面の彼の顔を崩すのがおもしろくてついふざけたあだ名で呼んでしまっているぶん、いまは、ちゃんとした名前で呼んであげたほうがいいとおもった。自分が真面目に彼と向き合うつもりでいる意思表示のひとつになる。

「先生もさ、女のひとダメなんだわ」

タバコの煙越しで見た彼の目に、救いを求める光が生まれた瞬間だった。


next
inserted by FC2 system