世界一の大剣豪になるのが少年の夢だ。
故郷を旅立って何年経ったかなんて知りやしない。倒した相手の数だって、もちろん顔だって覚えちゃいないけれど、雪のように降り積もる強さとそれを溶かし吸い込み育んだ自信は、脈々と体の中に感じている。それで十分だった。
怖くはない。死ぬ覚悟は何度となく確かめた。あとはただ、すべてを一瞬に凝縮する機会さえ掴み取ればいい。
大剣豪は三刀流だという。
緑色の髪と3つ並んだピアスは金色、最後に見かけた手配書にはヒゲも生えていた。緑色の腹巻きはもうしてなかったように思う。
麦藁帽子の海賊王が誕生した同じころにぱったり途絶えた消息を、確かなものだけつなぎ合わせるのには馬鹿にできない苦労をした。時には金も要ったし力も要った。騙されて身ぐるみはがれたことも死にかけたこともある。
修行の一貫だったとでも思えばいい。おかげで生き延びる知恵と土壇場の駆け引きが身に着いた。だいいち、そのくらいでへこたれてたら大剣豪になんてなれやしないのだ。
辿り着いた島がひどく穏やかだったことに少年は驚いた。
想像してたのは断崖絶壁の侘びしい孤島だ。外界から隔離されて独り、わずかな食料を頼りに、厳しい修行で己の精神と肉体を貪欲に突き詰める。世界一の名をいまだ誰にも覆させずいるためには、きっとそのくらいする必要があるんだろうとなんとなく思っていた。
海賊王率いる麦わら海賊団の航海士によってはじめて海図に記されたという、伝説の海に浮かぶ島と聞いて、いよいよ神々しさまで感じていたのだ。
それが自分の勝手な思い込みだったことは認める。
大剣豪の住んでる島が、日の光をキラキラ照り返す小麦に埋もれた普通の田舎だって、そこらじゅうで牛や羊がのん気にうろついてたっていい。
大剣豪の家が、パステルカラーの可愛らしい家々に紛れて建つ、クリーム色の漆喰がショートケーキみたいな一軒家だっていい。
住んでる場所がどんなだっていい。どこでだって修行はできるし、もしかしたらもともとこういう趣味だったのかもしれない。手配書の顔と照らし合わせたらかなり似合わない気もするけれど、それでも世界一強いことに変わりはない。ないけれど、

「クソコックてめぇっ!なんで隣のクソガキのよだれかけまで混じってんだ!」

世界一の大剣豪が洗濯板片手にピンク色のよだれかけをこすりつけてる姿は、どうしたって認めたくなかったのだ。





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大剣豪は相変わらずよだれかけと闘っている。
小ぶりな若木と風にたなびくささやかな花の咲く庭のはじっこにあぐらをかいて、格好だけなら少年が昔憧れたサムライの切腹だ。洗濯板で腹は切れないものの。
少年は何度も記憶と相談した。髪の毛が手配書より短い五分刈りなところ以外、その色もヒゲもピアスも全部一緒だ。タライの横には三本の日本刀が洗剤と並んで置いてある。どう考えても人違いじゃない。
でも、おかしい。十万歩くらい譲って洗濯姿は置いとくとして、どうして自分の気配に気づかない。

「おい!聞いてんのかクソコック!」
「うっせーなー」

そう言いながらアヒル形の表札のかかった扉から出て来たのは、金髪の男だった。
煙草を銜えたその男は、ようやくさすが大剣豪と呼べるくらいの鬼のような形相にこれっぽっちもひるまない。ゆっくりと歩きながら大剣豪の斜め後ろにしゃがみ込んだ。
やっぱりおかしい。少年は混乱した。剣士は、他人に背中を取らせないはずだ。

「お隣の奥様が風邪引いて寝込んでらっしゃるんだ。洗濯くらい手伝ってやるのが優しさっつうもんだろうが」
「冗談じゃねぇ。あのクソガキが俺の髪引きちぎりやがったからこんな小僧みてぇな頭するはめになったんだ」
「いいじゃねぇかどうせハゲんだし。おせーかはえーかの違いだろ?みっともねーなー気にすんなよそんなちーせーこと」
「だから!俺はハゲねぇっつってんだろうが!しかもちいさくねぇ!」
「へぇハゲが?」
「…っ!」
「あーはいはい、気にしてんだったな悪かった。だいじょぶだってハゲても愛してっから」

絶対おかしい。ありえない。少年は今にも卒倒しそうだった。
大剣豪が男にチュウされて、しかもちょっと嬉しそうだなんて。

「ところでさ、おまえ、」
「んあ?」
「そろそろ気づいてやれば?あそこの影でいかにも剣士ですって顔して突っ立ってるガキに」

大剣豪への憧れを目下取り壊され中の少年は、ほら、と男に指さされたのにも気づかなかったのだ。





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少年は今、オムライスを食べている。
金髪に見つかったとき、絶望の真っ只中にいた少年の腹の中も絶望してたみたいで、それにふさわしい悲鳴は耐える気力がない分かなり盛大だった。
突進してきた金髪に腕を掴まれて家へ引っ張り込まれて、ホモに食われるのかと思ったけれどそれももうどうでもよかった。好きなものはと聞かれて女の子に決まってると正直に答えたら、怒るかと思ったのにそれはオレもだと笑われた。ホモのくせによくわからない男だと思ったけれど、おかげでやけに気に入られたようだ。食われるから食わしてもらうに譲歩してもらえたのもそのせいなんだろう。
テーブルはキッチンのすぐそばにあった。作ってくれた金髪は、シンクに寄りかかって少年を機嫌良さそうに眺めながら、煙草の煙をいろんな形にして吐き出している。大剣豪のメシは洗濯が終わるまでおあずけだそうだ。

「うまいか?」

頷いて返したら男は満足そうに笑った。
角切りトマトの入った真っ赤なソースのオムライスは、ほんとうにとてつもなく美味しかった。けれど少年の心は真っ暗だ。
あんな男が大剣豪なわけない。気配にも気づかないし背中はとられるし、ホモの恋人の言いなりだ。
スプーンを力任せに握り込んだ。角張った金属がカサカサの手に食い込む。
きっと、弱くなってしまったんだろう。世界一の座に安住して、修行も忘れて恋人とイチャイチャしてるうちに、闘い方を忘れたのだ。戦いに勝って勝負に負けたのだ。最低なやつだ。そんなやつを自分は長い間すべてを捨てて追い掛けて来たなんて、悔しくて歯痒くてもうどうすればいいかわからない。
涙がポロポロ溢れた。スプーンと一緒に落っこちて、空っぽになった皿にシミを作った。
あんな男を倒して世界一になったって、きっとちっとも嬉しくないだろう。でも、それじゃあこれからなにを目指して進めばいい。自分にはもう、他に見えるものはないのに。

「どうしたクソガキ、泣くほどうまかったか?」
「な、んで」
「んん?」

わしわしと乱暴に頭を撫でる骨張った手が大きくて温かくて、捨てたつもりだった人のぬくもりなんてものが優しく突き刺さった気がした。わけもわからず不安になって、少年は振り切るように声を出した。

「っなさけなくないのか?!」
「なにが?」

とぼけた口調に腹が立った。恥ずかしいと思わないんだろうか。あんなになるまでほっといた責任を、この男は感じてないんだろうか。

「あんた、あいつの恋人だろ?!大剣豪のくせしてあんな、骨抜きになっちまって…っ」
「…あー言いたいことはだいだいわかった」

ドアが開いて泡だらけになった大剣豪が姿を現した。肩をコキコキ鳴らしながら怪訝そうな顔でこちらを見た男に向かって、金髪が楽しそうに言った。

「ゾロ、ちょっとこのガキの相手してやれ。テメェが弱くなったって嘆いてやがる」





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立っているだけで足が震えた。

「どうしたガキ。さっさとしねぇとメシが冷めちまうだろうが」

近付けないのを承知で言ってるのだ。
眠そうな眼をした三刀流は、たったの一本しか刀を持っていなかった。しかも利き手と逆の手だ。完全に舐められている。
少年はそれが体中の毛を逆立てるくらい悔しいのに、体はちっとも言うことを聞いてくれなかった。
怖かった。はじめて人を殺したときよりも、はじめて殺されかけたときよりも怖かった。目の前で渦巻く闘気はとんでもなく強烈で見たことないくらい膨大で、意志を差し置いて本能で逃げ出すのを押しとどめるのがやっとだった。ただ突っ立ってるだけなのは相手も同じなのに、そこには叩きのめされるほどの差が居座っているのだ。
青緑色の芝生が足下で風にそよいでいた。背後から煙草のにおいが通り抜けるのは、きっと金髪が見てるんだろう。眼で耳で肌で捕らえる何もかもが恐ろしいほど静かだった。うるさいのは自分の心臓くらいだ、少年は思う。
ふざけるなと笑ってやりたかった。
なにが弱くなっただ。なにが倒したって嬉しくないだ。勘違いもいいとこだ。弱いわけない。倒せるわけないじゃないか。違う。これは、さっきの洗剤まみれだった男とはまるで違う。人間じゃない。人間の皮を被った獣だ。世界一強い魔獣だ。
少年は歯を食いしばって笑った。
どうせ負けるなら死ぬ気で負けてやる。こんな遠いとこまで追い掛けてきたのだ。こうなったら大剣豪の記憶に残るような負け方をしてやろう。そうして、もっと強くなってもう一度対峙したとき、やっぱりあの時殺しておけば良かったと後悔させてやろうじゃないか。
いっそ晴れ晴れした気持ちを胸に、少年が命がけで睨みつけると、世界一の男はちょっと驚いたような顔をして、それから人の悪い笑みを浮かべてこう言った。

「そういう眼されるとな、昔を懐かしむのも悪くねぇって気になってくる」

少年が記憶を保った最後の瞬間だった。





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少年は大剣豪のものらしいTシャツを着せられていた。自慢になるのかはわからない。
座らされた一人で寝るには大きい気がするベッドは、きっと二人が一緒に寝るんだろう。そう思うと手当てをしてくれてる金髪をまともに見ることができなくて、サイドテーブルの上の灰皿ばかり見つめていた。世間の冷たさは知っていても色恋沙汰には疎いのだ。

「うし、完了」

巻かれた包帯の上からぽんぽんと細い胸を叩いて、金髪が立ち上がる。
片手にぶら下げてるのはさっきまで少年の着ていた服だ。血とほこりまみれのその服が、男の着ている真っ白なシャツを汚してしまうような気がして、なんとなく少年は落ち着かなかった。

「…ありがとうございます」
「お、さすが剣士。礼儀正しいもんだな」

口にはやっぱり煙草を銜えていて、いったいどれだけ吸うんだろう、なんてことよりは、もう少し重大な疑問を少年は抱えていた。
その答えを大剣豪に洗濯までさせられるこの男ならきっと知ってるだろうし、それにどうせ、本当に聞きたい相手は教えてくれないのもわかっていた。
しびれてうまく手が動かせなかった少年に、風呂に入るのを手伝ってくれると金髪が言ったとき、大剣豪にやたらと睨まれたからだ。
いくら色恋に疎くたって、それがヤキモチだということくらい少年にも分かっている。大剣豪がホモなうえにけっこう嫉妬深いんだと知っても、だからって今度はがっかりしなかった。人は見た目じゃないんだとちゃんとわかったからだ。
ただ、おかげで機嫌を悪くさせてしまったようだ。大剣豪はふて寝をしてしまった。
それに比べればこの金髪には少しは気に入られてる自信があるのだ。なんたって、メシを食わせてくれた。
だから少年は、思いきって聞いてみることにした。

「なぁ、」
「ん?」

あらためて見た金髪の眼は真っ青だった。ホモになる気はないけれど、この眼は単純に綺麗だと思う。それを口に出せるほどキザなつもりはないにしても。

「聞きたいことがある」
「なんだ?プライバシー侵害されねぇ程度までなら答えてやるぜ?」

あ、なんかこの言い方ナミさんぽいなー、ナミさん元気かなーとかなんとかいう独りごとを言って、金髪はふにゃふにゃ笑った。
さっきまでは少し物騒なくらいのヤブ睨みだったのに、笑った途端垂れ眼がちの目がくにゃりと下がったのを見て、少年はなんだか可笑しくなった。自分よりよっぽど子供みたいだ。

「あの人はなんで俺の気配に気づかなかったんだ?あんただって気づいたのに、あんなに強いあの人が気づかないはずないだろ?」
「あー…言っても怒んねぇか?」

どういうことだろう、顔中でそう言った少年を見て金髪は苦笑した。

「あのな、あいつすげーめんどくさがりなんだわ。だから、自分より弱いやつの気配は殺気がない限りシャットダウンしちまってんだ。キリがねーっつって。徹底してるぜその辺。なんせ御年ニつになるお嬢さんに髪引きちぎられるまで気づかねーんだからよ」

思い出したんだろう、金髪はくくくっと含み笑いをしてみせた。大剣豪が赤ん坊に髪の毛を 引きちぎられる場面は、確かにちょっと情けないかもしれない。少年もつられて笑う。

「じゃあ背後をとられるのも、」
「あ、そりゃ別。あいつ背中守ることに命かけてるし。誰も近寄らせねぇよ」
「え、でも、あんたには」

言った途端、金髪はひどく意味ありげに笑った。その顔がなんだか眼を反らしたくなるくらい、認めたくはなかったけれど艶っぽくて、思わずドキドキしてしまったことは誰にも言わないでおこうと少年は心に決めた。

「あの野郎はさ、ちょっとでもオレにくっつかれてんのが大好きなんだ」

それがノロケだと気づけるほどには、少年は恋を知らなかったのだ。





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ああこいつ、楽しんでやがる。
膨れた快感を掠れた喘ぎにして散らせながら、サンジは自分の上で腰を振る男を見て笑った。

「なに、笑ってやが、る」
「…っ、や、楽しそ…だと、思って…っ」

唇に噛みつかれた。最中に余計なことを考えるなと言いたいんだろう。けれど、そう簡単に言うことを聞く気はない。
サンジは無理やり顔を離すと、両手をつっぱねて今度は自分がゾロを勢いよく押し倒した。いちばん奥まで潜り込んでたはずの硬い性器が体の中でよじれて、行き止まりになったもっと奥の柔らかい肉をおもいきりえぐった。

「ーーっアアっ!」

いい場所を手加減なしに擦られる、いっそ暴力的なその気持ちよさに、サンジは堪える気もなく悲鳴を上げた。びくんっ、びくんっ、と全身が大きく痙攣して、達したそのままゾロの体に 倒れ込んだ。
じわりと熱いものが染み込むような感触に、コイツもイきやがったなと気持ちだけで笑いながらシーツに顔を埋めてはっ、はっ、と犬みたいな呼吸を繰り返してたら、大きな手で頭を掴まれて引き上げられた。

「テメ、無茶しやがって…っ」
「っ、へへ…ザマミロ大剣豪」

自分もゾロの頭を両手で掴み返して、チュッとわざと大きな音を立ててキスをする。
ゾロの嫌そうな顔が楽しくて、サンジは久々に再会した親戚のおばさんみたいな気分になりながら大ざっぱなそのキスを顔のそこらじゅうに繰り返した。

「あーこれ、あのガキにもしてやろっかなぁ」
「なっ!テメェ冗談じゃねぇぞ!」
「だってさぁ、あのガキ、」

まるで昔のお前みたいだと、そう言ってほんとに嬉しそうにサンジは笑った。
頭の中は強くなることばかりだ。それしか興味がなくて、ほかのものには眼もくれない。
あんなに若いころは知らないけれど、それでも突き刺さるようなあの眼は出会った頃のゾロと同じだ。そう思ったら、サンジはなんだかほっとけなかったのだ。じゃなきゃ、この大剣豪に戦いを挑んでくる相手に、まともにかまってなんてやらない。それこそキリがない。
ゾロだってそれは一緒だったんだろう。そうじゃなきゃこのめんどくさがりな男が、わざわざ闘気を全開にして戦ってやったりしない。もっと強くなれなんて、ハッパをかけてやったりしない。サンジは、なんだかんだ言って面倒見のいい目の前の男にご褒美をあげるために、ようやく真面目なキスをしてやった。
早く、柔らかさを知ればいいのにと思う。
恋人でもいい、仲間でもいい。大切なものを見つけて、そうしてそれをなくしたくないと願えるようになればいい。そしたらもっと、ほんとの意味で強くなれる。
今の少年には理解できないことなんだろう。それを覚えるのはきっとまだまだ先のことだ。
今は大剣豪になったこの男だって、理解したのは夢を追いはじめてからずいぶん後なのだから。

「なぁ、そろそろあいつら迎えに来るころだよな?」

中に入ったままの性器を体を起こして自分から抜き取ると、サンジはもう一度ゾロの体にダイブした。

「ああ、そういやそうだな」
「あのガキ、うちの船長の大好きなタイプじゃね?」
「見つけたら連れてくって聞かねーだろうな、っておい、まさか」
「んーどうすっかなー」

サンジは枕に乗っけていた両足でサイドテーブルから煙草を器用に持ち上げると、伸ばした手で中からライターと一本を抜き取ってまた元の位置に戻した。灰は、どうせ洗濯するからシーツに落とすことにした。これ以上汚れたところで大して違いもないのだ。
火をつけてひと煙吐き出すと、ゾロのわざとらしいため息が耳に入り込む。

「お前な、キリねーだろ。あんなの見つけるたんびに拾ってたら」
「そうなんだけどさー」

きっと、次々現れるんだろう。同じような眼をした少年達が。
いろんなものを捨てて、ひたむきにこの男を追いかけて、追いついて、そしていつかは追い越していくのかもしれない。もっとも、この男だってそう簡単に負けてやるつもりもないだろうけれど。


「でも、楽しくねぇ?おまえみたいなのばっかな船って」
「…俺は楽しくねぇ」
「なんで?オレが取られちまうから?」
「ってめ、」
「本気にしてんじゃねぇよバカ」

楽しくてしょうがないような笑い声を上げるサンジに、

「まぁ、退屈しねぇだろうけどな」

ぼそりとそう呟いたゾロの顔も、やっぱり楽しそうに笑っていた。
いくらでも追いかけてくればいい。
ナイフのような尖った眼をして全身で威嚇して、そうしてたくさんの喜びと苦しみと冒険を味わって、大切なものを見つければいい。世界一のコックのうまいメシを食ってぐんぐん育って、世界一の大剣豪と戦えばいい。
がむしゃらになればいい。かつての自分達のように。夢や、希望や、少しの不安を抱えながら。
そうして彼らは、この世界をもっと素晴らしいものに変えていくのだ。











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