「なーウソップー」
「却下」

 えーと、酎ハイ三缶、ビール五缶、と。
 スルメやビーフジャーキーと一緒に転がる空き缶を目で数えながら、オレはジーパンの尻ポケットから携帯を取り出した。

「なんだよぅまだなんも言ってねぇじゃねぇかよぅ」
「言わなくてもわかんだよオメーの考えてることなんざ」
「お、それってオレに気が」
「ねぇな。無論ねぇな。ことごとくねぇな」
「うー」

 サンジがぐらんぐらん揺れながらにじり寄ってきた。長い前髪がバラバラと坐った目の上を行き来していて、もしこいつが金髪じゃなくて黒髪だったりしたら井戸から這い出てきそうだなーと思う程度には気色悪い。
 これ以上接近されないようにその頭を片手で押さえつけたら、うーとかがーとか呻き声を上げながらそれでも諦めずに前に進もうとしやがるから、「よーしよしどうどう」と適当にあやしてやったらそれでほんとにおとなしくなった。オレは闘牛士か。
 もちろんスペインで一花咲かせるつもりは毛頭ないわけで、もう片方の手と意識の八割で携帯の操作に集中する。
 過去の経験と知識から推測して、もうあと二分もしないうちにこのアホは潰れるはずだった。なのでそろそろ回収にきてもらわなきゃならない。こいつ専門の業者に。

「オレってばぜってぇー、オススメぶっけんだぁぜぇー」
「あーはいはいよく存じておりますとも」

 蛍光灯の明かりで目がシバシバした。携帯を耳に当てながら軽く背後を振り返れば、カーテン越しの窓の外は濃い水色だ。雀の鳴き声に混じって響く重たいエンジン音は、きっと一階にあるコンビニの搬入トラックだろう。
 つうことは、現在おそらく午前四時。うーわあと四時間しか寝れねーし。溜め息をつきながらサンジを見てみれば、オレの手に頭を擦り付けながら一人楽しそうにうひうひ笑っていた。さっきまでメソメソ愚痴ってやがったくせに。人の気も知らねぇでいい気なもんだぜまったく。

「料理はうめぇしさぁールックスさいこーだしさぁー」

 自分自慢はまだまだ続く。

「やさしいしー話じょうずだしー」

 それを右から左に聞き流してたら、危うくプルルルと耳の傍で鳴り出した呼び出し音まで取り逃がしそうになってちょっと焦った。無駄な心配だったことに気づいたのはその後だ。さて、あの寝汚いヤローは何十回鳴らせば起きるだろうか。

「おいこらウソォップー聞いてんのかー」
「おー聞いてる聞いてる。ああもうあんま近づくな酒くせぇ!」

 再び突進を始めたサンジを、今度は足でつき飛ばす。アホはそのままどてんと仰向けに倒れ込んで静かになって、寝たかと思って覗いてみたら、酔っ払いのうつろな目はひどく悲しそうに天井を眺めていた。
 見なきゃよかったとちょっと後悔した。

「ほんとさぁーこぉーんな男前なのにさぁー、なぁんで、あんなのがいんだろーなー…」

 電話は案の定なかなか繋がらなかった。今で三十五回目。呼び出し音の数をなんとなく数えながら、オレは立ち上がってその辺に転がってる空き缶を拾い始めた。なにかしてなきゃ落ち着かないのは別に苦労性だからってわけじゃない。少なくとも今回に限っては。
 ちくしょうあのヤロー、説教だ説教。オレ様に余計な気苦労させやがって。

「なぁ?なんでだろぉ〜ウソップー」
「さぁな」
「あんな、ムサイしーごついしー…、バカ、だしー…エコプロジェクト…」
「…は?」

 おいおい燃えるゴミと燃えないゴミの区別もつかねぇあの野郎がいつエコ派に早変わりだ?なんてついつい気になって振り返ったときには、アホはもう夢の中。するとそれを見越したように機械音が止んで、電話の向こうからは代わりにあくびなのかうなり声なのかよくわからない音が聞こえてきた。
 まったく、オレの周りにゃ牛しかいねぇ。

「もしもし、廃品回収お願いします」

 寝起きの牛が何か言い出す前に、オレはそう言って電話を切った。





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 とても変わった兄弟がいた。
兄は緑で弟は金。なにがって髪の色だ。どういう遺伝子組み換えなのか知らないが、ちゃんと血は繋がってるそうだ。
 DNA鑑定までしたから確かだと、いつか兄弟の母親が笑いながら言っていた。さすがの親でも取り違えかなんかだと思ったらしい。
 性格もまるで違った。兄のほうはぶっきらぼうな剣道バカで、弟は女好きの料理好き。しょっちゅう喧嘩していて、なのに人をからかう時と誰かに喧嘩をふっかけられたときはたちまち一致団結するからタチが悪い。二人ともバカみたいに強いからなおさらだ。見た目が目立つせいか因縁つけられることが多かったから、強くならざるをえないってのもあったんだろうが、それにしても物の限度ってもんを知らねぇやつらだ。さすが牛。
 そんな二人と、オレは十何年来のダチだったりする。弟のほうと同い年で、兄とは一歳違い。もっとも、物心つくかつかないかの時から一緒にいるから、年令の違いなんてあんまり考えたことはない。
 だいいち、オレのほうが兄弟のどっちよりもよっぽど落ち着いてると思うね。や、落ち着いてるっつうか気が長いっつうか、揃って短気な兄弟の仲介役をやってたら自然とそうなっちまった。一種の職業病ってやつかもしれない。労災おりねぇのが痛いところだが、自然、相談役も一手に引き受けることになるわけで、あの兄弟に関してオレの知らないことはほぼない。
 兄の初恋の相手は弁当屋のおばちゃんだったとか、弟の初めて喧嘩で負けた相手はバイト先のじいさんだったとか、兄弟同士では秘密にしてることだって知っている。
 弟のサンジが、兄を好きで好きでしょうがないということも知っている。
 兄のゾロが、それに負けないくらいサンジを好きだということも知っている。
 ゾロが、サンジは自分のことを好きだと知っているのも知っている。
 けれどサンジは、ゾロの気持ちなんて少しも、知らない。





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「おまえさ、女に逃げんのやめろ」
「……」

 開口一番オレが言った言葉を、ゾロは無言で酒を飲んではぐらかした。
 ヨレヨレのTシャツは『二年二組ロロノア』の名前入りだった。高校の体育着だ。身なりにうるさいサンジが見たら恥ずかしいから今すぐ着替えろと大騒ぎするに違いない。だからってアヒル柄のパジャマもどうかと思うけどな。
 なんてせっかくどうでもいいことを考えて時間を稼いでやったのに、ゾロのヤローがなにか話し出す気配はまるきり見られなかった。しょうがねぇからもう一度チャンスをやることにする。

「男同士はまずいとか兄弟はまずいとか考えるのはオメーの勝手だけどよ、赤の他人巻き込むな。可哀想だろ」
「…そうでもしねぇと」
「あのアホが諦めねぇってか?残念だがそんくれぇじゃ諦めねぇなアホだから。オメーだってわかってんだろ?」

 ゾロはまた黙り込んだ。都合悪いとすぐこれだ。オレはわざとらしく溜め息をついて、近くに転がっていたするめを一本口に放り込んだ。情けを二回もくれてやるほどオレは慈悲深くねぇ。
 乱暴に噛み砕きながらウーロン茶の缶を手に持ったところで、ゾロがようやく、やけっぱちみたいな声で呟いた。

「じゃあ、どうすれっつーんだ」
「んなもんテメーで考えろ」

 ほんの一メートル後ろで、サンジがクークー寝息を立てていた。それをちらっと覗き見て、今度はゾロがわざとらしい溜め息をつく。
 オレはその態度にイライラした。オメーばっかが悩んでると思うなと、吐き出しそうになった言葉をするめの残がいと一緒にウーロン茶で流し込む。ここはオレ様が我慢しなきゃならねぇ。

「あのな、オメーはなにを最優先にしてぇんだ?世間体か?親か?それともサンジか?」
「サンジだ」
「じゃあ問題ねぇだろ、コクっちまえ」
「ダメだ」
「なんで」
「アイツのためになんねぇ」
「サンジのためになるかどうかなんて決めんのはサンジだろ。なんでオメーに決める権利があるってんだ」
「なんねぇだろどう考えても。ホモで近親相姦なんて負い目、」
「うわオレ今すげーイラっときた」
 バカめ、二回目はねぇっつっただろーが。皮肉たっぷりの口調にむかっとしたらしいゾロをほっといて、オレは喧嘩腰モードに切り替える。

「オメーは、あのアホが負い目くれぇでへこたれるとでも思ってんのか。アイツはそんな弱くねぇだろ?」
「そんなのわかん、」
「わかるだろ。アイツが弱るとしたら、そりゃオメーが離れちまったときだ」

 うわ、マジでわかんねぇってか。本気で驚いてみせるゾロに、オレはイライラを通り越して呆れちまった。
 こういう鈍チンなとこなんかは兄弟そっくりだ。大切オーラ垂れ流しのこいつに気づかねぇサンジも、サンジにどれだけ想われてるかいまいち分かってないこいつも。

「だからうちまで来てピーピー泣いてんだろうが。大好きな兄ちゃんが取られちまったってよ」

 さっきの、天井をじっと見つめていたときのサンジを見せてやりたいと思った。牛は牛でもあれじゃドナドナだ。
 あんな頼りない顔を自分がをさせてるなんて知ったら、このヤローはいったいどれだけ後悔するんだろう。

「だいたい、オメーはあのアホに負い目背負わせて潰しちまう程度のちぃせぇ男だってのか?自信ねぇのか?ぁあ?」
「んだと?」
「腹立てるくれぇなら最初っからみみっちいこと考えてんじゃねぇ。どうなるかじゃなくて、どうしたいかだろ?オメーの得意分野じゃねぇか」

 ゾロは何か言いたげに口を開きかけて、結局黙り込んだ。
 オレにできるのはここまで。あとはもう、こいつが腹を据えるのを待つだけだ。こんだけ言って覚悟が決まらねぇようなヘナチョコをオレはダチにした覚えはねぇからな。
 いつもの即決即断っぷりはどうした、とは、思っても言わないでおく。
 それだけ、大切なんだろうサンジのことが。欲しいとなったらなにがなんでも手に入れるこいつが、慣れない頭使って第三者巻き込むなんてつまんねぇやりかた思いつくくらいに、いろいろ考えたんだろう。サンジのためを思って。
 ただ、ちょっとばかりあのアホを舐め過ぎてたってのが誤算だったわけだが、それ以前に、サンジを手放して一番参るのは自分だってことに、こいつは気づいてないんだろうか。
 まぁ気づいてねぇだろうな。鈍いもんな。オレもたいがい苦労するぜまったく。

「…いろいろ、考え過ぎちまったみてぇだな、俺は」

 そら来た。

「やっと気づいたかアホめ」
「うるせぇよ」

 苦笑しながらそう言って、ゾロはすくっと立ち上がった。もちろん猫まっしぐら、いやサンジにまっしぐらだ。こういう切り替えの早さにはいつもながら感心する。長生きする秘けつだろうな。そうするとオレは早死にか。ムカつくぜチクショウ。

「起きろアホ、帰るぞ」
「…んー?ゾロー…?」

 頬をぺちぺち叩かれて、サンジが目を覚ました。といっても、寝ぼけた目はいまいちゾロを捉えきれてないらしい。寝癖のついた頭をワシワシかき混ぜながら不機嫌に顔をしかめるさまは、まるきり子供みたいでなんだか笑えてくる。

「ねみー…」
「ねみーじゃねぇよタコ。ほら、立てるか?」
「んー…え?っゾロ?!」
 覚醒したようだ。半開きだった目が一気に全開、と思ったら、キテレツな眉毛をハの字に下げてしょんぼり俯いちまった。こいつも早死に仲間だな。グダグダ考え込むことに関しちゃプロ級だ。オレはゾロと顔を見合わせて苦笑いする。

「オメーがいなきゃ兄ちゃん寂しくて寝れねぇとさ」
「…っ、ウソップてめ、」
「ああ、寝れねぇな。だからさっさと帰ろうぜ」
「へ?」

 サンジはそれこそバカみたいにぽかんとしていた。そりゃそうだろう。オレだって正直ちょっとビビった。
 なんせ、ゾロがこの手のネタにノるとこなんて初めて見たからな。いくらなんでも吹っ切れすぎだろ。
 引っ張られるまま立ち上がる間際に、サンジは疑問符だらけの視線をオレに向けて寄越したが、丁重に無視だ。これから嫌ってほどわかるからいいじゃねぇか。どうせカップラーメン一つ作る暇もねぇうちに全部ハートマークに変わってんだろう。
 あーあ、テメェで引導渡したとはいえ痒いったらねぇな。並んで歩く二人の後ろを玄関先まで見送ってやりながら、オレはなんとなく背中を掻いてみる。

「面倒かけたな」

 隣にサンジを従えてゾロが言った。

「金輪際うちを駆け込み寺に使うなよ。弟にもその辺じっくり言っとけ」
「ああ」
 途端、サンジのハの字眉毛復活。改めて兄貴の恋人発表でもされると思ったんだろうか。
 そりゃお前だっての、と言ってやりたいのはヤマヤマだったが、オレも馬に蹴られたくねぇ。そのへんはゾロに譲ることにする。

「ヤクルトのおばちゃん気絶させたくなかったら新しい世界は家帰ってから開け。ついでにそこにオレは呼ぶな」
「呼ぶかよ。つうか来んな」
「おーおー早速のろけか。やだねぇこれだから新婚さんは」

 だからお前のことだっての。いまにも泣きそうな顔をしやがるサンジにいささかうんざりしていたら、どうやらゾロも気づいたようだ。しょーがねぇなぁと言いたげに眉を上げながら、寝癖の飛び跳ねた金髪にポンと手を置いて言った。

「嫁の寝顔拝めただけでもありがたいと思え」

 言うねぇ。オレは思わずヒュウと口笛を吹いた。ニヤリと人の悪そうな顔で笑うゾロの隣では、サンジが疑問符とビックリマーク半々な目でゾロとオレを見比べている。さすがのアホでもおかしいと思ったようだ。
 そりゃ思うわな。むしろ、ここまで言われてまだ自分の立場を理解しきれてないサンジに鈍感王の称号を与てやりたい。それとも、兄貴の信用の問題か?
「まぁとりあえず続きは家でやってくれや。オレは今カツ丼と焼肉交互にハシゴ食いした気分だ」

 オレが両手を上げて降参のポーズをとると、ゾロはほんの少しだけ気恥ずかしそうに笑ってから背中を向けた。片手にサンジの手首を掴んで。ああもう腹いっぱいだっつってんだろーが。
 扉が目の前で閉じられた。途端、その向こう側でこれから起こるはずのことが脳みそをモヤモヤと駆け巡って、オレは無性に気恥ずかしくなった。さっさと目を反らして、首をコキコキ鳴らしながら部屋に向かった。
 舞い戻った先は、今さら気づいたがひどい惨状だ。酒のにおいと煙草の煙と空き缶に埋め尽くされていた。これを一人で片付けるのかと思うだけでどっと疲れが溜まる。
 とりあえず、休憩。オレはその辺に落ちてたまだ未開封のビールの缶を拾い上げて、唯一無傷のベッドにどかりと座った。プルタブを開けて一口飲んでみる。苦い液体がおもしろいくらい喉に染み込んでいった。
 もしかしたら、柄にもなく緊張してたのかもしれない。立て続けに半分飲み干してからそう思う。
 ほんというと、口出しするつもりは少しもなかった。
 どうせ、ほっといたってうまくいくに違いなかった。いつかサンジが爆発して、慌てたゾロが自力で覚悟を決めて、そうしてなにもかも勝手にことは進んでくはずだった。わざわざオレが首を突っ込む必要なんてなかった。
 なのに、あんまり似合わないことをするゾロに腹が立って、あんまり無防備な顔をするサンジがいたたまれなくなって、挙げ句このざまだ。

「甘ぇよなーオレも」

 自分でも酒くさいと思う息を大きく吐き出して、呟いてみる。そしたらなんだか照れくさくなって、「おかげで完徹じゃねーか」だの「居眠りこいてバイトクビになったらどーしてくれる」だの、誰が聞いてるわけでもないのに照れ隠しの言葉を立て続けに並べ立てちまったり。
 オレしかいない部屋にそりゃもう空々しく響きわたって、ほんのちょっと、ちょっとだけ、つまんねぇなーと思っちまったり。

「…っあーくそ!!」

 バカくせぇ。なんで一人でこんな悶々としてなきゃなんねぇ。残りのビールを飲み干して、オレは勢い良く立ち上がった。

「よし、乱入決定」

 眠気とアルコールで宙に浮いたような気分のまま、長居する気満々で財布と携帯を装備する。
 ターゲットまでは歩いて五分。愛の告白なんぞとっくの昔に終わらせて、今ごろイチャコラしてやがるんだろう。タイミング的にはもうしぶんない。
 ゾロにはきっと、不機嫌モード全開で睨みつけられるだろうが、なんたって本日最大の功労者はオレだ。あいつら兄弟は、どうもそのへんをわかってない。用が済んだらさっさと帰りやがって、もうちょっとオレを崇め奉ってもいいもんじゃねーか。

 ドスドスと足を踏みならしながら玄関の扉を勢いよく開いたオレが、さっきまでの一人きりの時間と、あの二人と一緒にいる時間が減るだろうこれからの未来とを重ね合わせて、ほんの少しだけ、寂しいなぁなんて思ったことは、実は誰にも言えない、秘密だったりする。





end.








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