あいーあなたとぉーふぅたりー 「愛だってよアイ!っかー照れるねぇ!」 チャリンコを優雅に乗りこなしながら、オレ様、超ごきげんまっただ中である。 今が夜の十一時だろうと気にしない。通りすがりのおっさんがこっちを可哀想な眼で見ようと気にしない。 おっさんの連れてる腹の長い犬がオレ様に向かってキャンキャン吠えようとも、道ばたにたむろってる明らかに水商売っぽいお姉さんがたがこっちを見てクスクス笑ってようとも、オレ様、全然、まったく、気にしない。昨日までならいざしらず、今日のオレ様はひと味違うのだ。いや、ひと味どころかご味くらい違う。 「ふぅーたりのぉためー」 男ウソップ、本日、カノジョができました。 サビを歌う声に知らず知らずコブシが決まるのはご愛嬌。ああそうさ浮かれてるさ。これが浮かれずにいられるかってんだ。なんたって人生初だ。歌に合わせてチャリンコのベルチリンチリン鳴らしちまってもしょうがねぇっつー話だ。 しかもこのカノジョってのがまた、 「カワイイんだよなぁー」 つい数分前まで一緒に過ごしてたあの子の顔を思い出して、オレの鼻は伸びきった。あれ、伸びるのは鼻の下だっけか。まぁ細かいことは気にしねぇ。 とにかく、ほんとにもう、冗談抜きでカワイイんだ。コクられたときなんて、そう、コクったんじゃねぇ、コクられたんだ、それこそ自分で自分の足踏んづけたってもんだ。もしかしてオレは今ネバーランドに飛び立ってる真っ最中なんじゃねぇかと思ってな。そんくらいかわいくて、その上性格も激良し。さらにさらに頭もいい。将来は医者になりてぇってたしか今日言ってたな。 体が弱いせいか肌が透けるように白くて、はかなげで、細くてサラッサラの金髪で———ん?金髪? 「うげ、ヤなこと思い出した」 思い浮かんだのはバカヤローの顔。夢心地な気分を見事にとっぱらいやがったヤツを追っ払おうと、オレはチャリンコをキキッと急停車させて頭をブンブン振り回した。 いくら同じ金髪だって、バカでアホで乱暴で面倒ばっか起こしやがるヤツとあの子とじゃえらい違いだ。月とスッポン、白鳥とアヒル。比べるだけ失敬ってなもんだ。 フンっと勢いよく鼻息一つあげて、オレはアヒルと合体したヤツの顔をキレイさっぱり吹き飛ばした。再びこぎ出すそのスピードは最高速度。ビュウっと勢いを増した冬の風が冷えた頬に突き刺さる。 みるみるうちに、目の前に見慣れたコンビニの看板がピカピカ光りながら近づいてきた。 オレんちのマンションの一階だ。かつ、オレ様のバイト先。心持ち息を荒くしながら、今日は奮発して二百五十円のアイスを二つ買おうかなんて考えてみる。 ガリガリ君の三倍高い、甘くて濃くてウマいやつを、暖房の効いた部屋で、アツいレゲエでも聞きながらぬくぬくと食えば、いろんな意味で甘い気分になれること間違いない。ユーアーマイエンジェルユアマイダーリンエンジェルってな。へへ、オレ様ってばロマンチスト。 そんなささやかなオレ様祝賀パーティを思い描きながら、もうあと五メートル先くらいまで近づいたコンビニの、駐車場の車止めに、ふと、ナニかが居た。ものすごく見慣れたナニかが。 足下にビールの缶三つ四つ転がして、赤い顔した、金髪の、 「うーそぉーっぷ!」 オニだ。オニが居る。 このときのオレ様のドリフトテクはマジで見事だった。キュキュッと一瞬で回れ右したオレはさっきまでの最高速度をさらに超越したスピードで猛烈に漕いで漕いで漕ぎまくった。 後ろからオニが追いかけて来るのがわかった。なんで追われなきゃなんねぇのかさっぱりわかんねぇ。だがここで捕まったら終わりだってことだけは分かる。十分すぎるほど分かる。これは本能だ。 ついさっき通り過ぎたばかりの公園が目に入った。オレはチャリを止めて中に駆け込むとナウシカに出てくる虫の化け物みたいな形したチープなコンクリート製の洞くつに逃げ込んだ。 救助が必要だ。そこらじゅうのポケットを探りまくった。携帯、携帯はどこだ。 「どーこぉーだーうそーぉっぷー」 オニの声がすぐそばを通り抜けた。思わず息を止める。よし、離れた。見つけた携帯を取り出し番号を探し出す。光で居場所がバレねぇように手で画面を覆いながら。 頼む。頼むから寝てるな。 「みぃっけ!」 「ヒィ!」 オニの赤い顔が暗闇の中でニヤァっと歪んだ。オレは尻で後ずさりながらその瞬間繋がったばかりの携帯に金切り声で叫んだ。 「もしもしグリーンマン!緊急要請応援求む!場所は公園!」 オニが穴から手を突っ込んで来た。オレは背後の穴から飛び出すと全力で走り出した。走りながら叫んだ。 「五分以内にテメェのバカ弟回収しろ!じゃねぇと町内放送でテメェの初恋、グエ!!」 体当たりされたオレの体はドスンと音を立てて地面に前倒しにぶっ倒れた。殺される。オレはせめて死ぬ前にあの子のことを思い出そうと眼を瞑った。 ところが。ところがだ。オニはオレの背中に乗り上げたきりなんのリアクションも起こさねぇ。おれは恐る恐る背後を振り返ってみた。 「うそっぷー…」 金髪のオニは、泣きべそかきそうな顔でオレを見下ろしていた。 ゾロは、めずらしく言いつけ通り走ってきた。オレの決死の叫びが効いたか。 すぐそばのベンチには、結局オレの背中に乗り上げたまま酔い潰れたサンジが街灯に照らされてグースカ気持ち良さそうに寝こけていた。まったく、めでたいやつだぜ。こっちは身の危険感じたっつうの。 ゾロがいくらか上がった呼吸を整えるのを、ポケットに手を突っ込んで見守る。よれよれのパーカーからは少しだけ煙草のにおいがした。サンジのじゃねぇな。においが違う。 「おいこら、ポケットの中身出せ。」 「……」 黙ってパーカーのポケットに突っ込んだゾロの手が取り出したのは、蛍光緑の百円ライターと真新しい煙草のボックス。タールはいつもの十ミリ。よしよし。オレは有無を言わさず両方ぶんどると、一本銜えて火をつけた。一度大きく吸い込んで、吐き出して、それから箱を差し出してやれば、ゾロも黙って一本抜く。 完璧なニコ中なのはサンジだけだが、だからってオレもゾロも吸わねぇわけじゃねぇ。そのへんはやっぱ、由緒正しき男子コーコーセーってことで、酒飲んだときとか苛ついてるときとか、なんとなく手持ち無沙汰なときとか、時と場合に応じてお世話になることは多々あるわけだ。が。オレとゾロが吸うのは大抵同じタイミングだったりする。 共にうんざりするタイミング、煙草でも吸わなきゃやってらんねぇようなタイミング、それはつまり、この横で寝腐ってるバカヤローがなんらかのテロ行為を発動させた後だ。おかげで二人して同じ銘柄を買うのが暗黙の了解になっちまった。ヤな了解だなおい。 「で?今度はなにやらかしたって?」 ゾロの煙草にも火をつけてやったところで、オレは言った。 「家を出るっつったんだ。こいつに」 「へぇ、まさかもうコイツに飽き、」 「アホなこと言ってんじゃねぇ」 即答、かつ本気で睨まれた。やめろよこええだろーが。 不機嫌そうに煙りを吐き出す姿はまんまヤクザかチーマーだ。ハイハイてめぇがあのアホのこと愛しちゃってるのはよーく知ってますよ。冗談も通じねぇんだからよまったく。 「じゃあなんでだよ?せっかくデキ上がったばっかじゃねぇか」 「…だからだよ」 「ますますわかんねぇよおい」 ゾロが小さく舌打ちをした。後ろ頭をガシガシ掻きながら、口を開きかけては顔をしかめの繰り返し。おい、もしかして照れてんのか? 「親がいんだろ」 「オヤ?…あ、なるほど!」 頭のキレるオレ様は、その一言ですべてを諒解した。したくねぇけど。 つまりこいつは、あのアホにオレが想像したくもないようなことを思う存分イロイロしたいと。そのためには親の眼が邪魔だと、そう言いたいわけだ。 「で?それを聞いたあのアホが恥ずかしさのあまり逆ギレしたってか」 オレはハァーっと深いため息をつきながら、人さし指でフィルターをトントン叩いて灰を落とした。 バカくせぇ。オレはそんなことのためにあの夢気分をぶち壊されたってわけか。つーか清い交際開始直後のオレ様にそーいうナマナマしいネタ振るなっての。 ところがゾロは、オレよりももっと深いため息を煙と一緒に吐き出して言った。その眼は例えて言うなら、アレだ。 「『そんなにオレと別れてぇのか』」 疲れきったサラリーマンだ。 「……」 そうか、オレ様、まだまだ甘かったか。 つまり、あのアホは、最初の『出てく』の一言だけ聞いて飛び出せるほどの、オレの予想をはるかに越えたイマジネーション豊かなアホだったっつうことだ。 しん、とした空気の中で、ふと、大きな溜め息が二人ぶんきれいに重なった。 オレ達は顔を見合わせて、クッと小さく笑い合う。 「苦労するよな、おめぇも」 「てめぇもな」 同じくらい短くなった煙草を、二人同時に放り投げた。再びオレが取り出した箱から、やっぱり同時に一本ずつ抜き取る。かわるがわる火をつけ合えば、二人分の煙草の火が、薄暗い街灯に照らされながらチカチカと赤く点滅した。 当たり前みたいに流れる沈黙。目線を斜め下に落とせば、ウワサのアホは相変わらず幸せそうに寝息を立てている。 オレの隣ではどうせ、オレと同じものを眺めて同じ顔したゾロがいるんだろう。しょーがねぇなぁって苦笑いして。オレと同じように。 まいるよなぁ、ほんと。甘ぇんだからよ。オレも、こいつも。 「ゾロよぅ」 「なんだ?」 「オレ様、カノジョができたんだわ」 「へぇ、よかったじゃねぇか」 ニっと笑ったゾロに、負けじとオレも笑い返して、二人、銜え煙草でコツンと拳をぶつけ合う。 「でな、その子な、医者になりてぇっつっててな」 「おお、そりゃすげぇ」 「だろ。だからな、明日、会ったら聞いてみるわオレ。アホを治す薬はあるのかってな」 「ねぇだろ」 「ねぇかな」 ねぇよ。そうか。と呟き合いながら、二人してまたサンジを見た。 頭のいいあの子なら、こんなオレらを見てなんて言うだろうな。 ああ、別に聞かなくたってわかるんだけどよ。きっと、笑いながらこう言うんだ。 ———
二人とも、彼のことが大好きなのね そしたらオレは、あーだこーだ言い訳して、得意のほら話でごまかそうとして。でもあの子には全部お見通しで。 優しく笑うあの子の前で、オレは、照れくさそうに笑い返すことしかできずにいるんだろう。 |