サンジは女の子が大好きだ。
 好きなタイプを聞かれたら胸を張って『人間の女の子』と答えられるくらい。
 気の強い子ほどたまに覗かせる弱さがグッとくるし、気の弱い子は全力で守ってあげたい。
 打算的な子にはいくらでも騙された振りをするのが男の甲斐性だし、抜けてる子には何から何まで世話を焼いてやりたい。
 年上の色気にはクラっとくるし、年下のあどけなさにはキュンとしてしまうし、グラマーな子のおっぱいには顔を埋めてみたくなるし、スレンダーな子のウエストは思いきり抱き締めてあげたいし、 まったく、どうしてこう、世の中にはかわいい女の子が溢れてるんだろうと思う。困ってしまうのだ。
 そんなサンジに、例えば誰か気になる子がいたとしよう。そしてうまいことその子とつき合うことになったところで、もっと気になる子が目の前に現れたとしたら。
 そうなるともう、後から現れた子が気になって気になってしょうがなくなってなにも手につかなくなってしまうという、避けられない事態にサンジは陥ってしまうのだ。
 もちろん、サンジは二股なんて卑怯な真似はしないから、そんなときは誠意をもってつき合ってる子に別れを告げる。そして罵倒されるか泣かれるかたまにひっぱたかれたりしながらその子と別れて、さっそく新しく現れた子にアタック、し始めると今度は、まるで待ち構えてたようにさらにまたそれ以上に気になる子が現れてしまうからたまらない。
 結局その二人目の子とも別れて新しい子にアタックして、そしたらまたまた気になる子が現れて、なんて具合に、ぐるぐるぐるぐるまるで自慢の眉毛みたいに、つき合っては別れる果てしないループを今までずっと回り続けていた、挙げ句、サンジは近頃、真剣に悩むことになったのだ。自分は一生、一途な恋ができないんだろうか。なんて。
 サンジは女の子が大好きだ。そしてロマンチックな恋も大好きだ。
 祖父の部屋の本棚の裏に隠してある大河ロマンス小説を読んで涙をポロポロ流しては、いろんな障害、それは姑だったり継母だったり金持ちの悪いおじさんだったりなかには広大な砂漠だなんていう多分一生縁のなさそうなものもあるけれど、とにかくどんな困難な障害も乗り越えてたった一人の人を愛し続ける主人公を、男の理想像として崇め奉ってきた。オレもいつかそんなたった一人の人を見つけるんだ、なんて心に誓ってきた。
 だからそんなサンジにとって、一途な恋ができない性分はそれこそ致命的な障害なのだ。間違いなく乗り越えられない感じで。
 サンジは悩んだ。どうやったらこの性分を乗り越えられるんだろうかと、数カ月間悩んで悩んで悩みぬいた。その挙げ句、たった一人の人を見つければ自然と一途になれるはずだ、なんていうやっぱり夢見がちな希望的観測しか見い出せないまま、振り出しに戻ってしまったのだ。
 だって、出会えるまで数打ち鉄砲に付き合えばまた同じループに女の子を巻き込むことになるし、じゃあ出会うまで誰ともつき合わなきゃいいじゃないかと言われても、それはできない相談だからだ。 物心ついたときから彼女のいないことがなかったサンジにとって、 そんな自分は想像がつかない。寂しがりやなのだ。
 サンジは落ち込んでいた。底の底まで落ち込んだうえにふて腐れていた。
 近所の魚屋の息子、ロロノア=ゾロに告白されたのはそんな時で、あっ さりOKしたのはつまりやけくそだったのだ。





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 サンジの家は定食屋だった。
 古い商店街に立つ小さな店で、安くてうまいがモットーの隠れた名店を自負している。
 高校を卒業して店主兼祖父に弟子入りしたのが二年前のことで、ゾロが母親とともにこの街に引っ越してきたのもちょうどその頃だった。
 元は漁師一家だったらしい。海域規制が厳しくなったせいで稼ぎ口だった遠洋漁業が揮わなくなっていたところに、稼ぎ頭の父親が海難事故で死んでしまったんだそうだ。
 残されたのは、わずかな遺産と海の知識。両方をフルに活用できて、なおかつ母親と自身を養える食い扶持を探究した結果、ゾロは魚屋になることを選んだんだと、サンジは近所のおばちゃん達から聞いてもいないのに教えてもらった。
 狭い商店街だ。噂が回るのは恐ろしく早い。
 巡り巡ってとうとうサンジの祖父にもその話が届いたことが、ゾロと出会うそもそものきっかけになったのだ。
 祖父は情に厚い人間だった。話を聞いたその日のうちにゾロを呼びつけて、店おかかえの仕入れ先にしてしまうくらいに。定期収入があるほうが生活が楽だろうと思って。
 そのうえゾロの対応も気にいったらしい。あれぞ昭和の日本男児だ、お前も少しは見習えとかなんとかいってサンジが説教されるハメになるくらい。でも頭は緑だぜ、なんて眼をうるうるさせてる祖父に言わないでおく程度には、サンジも大人だったけれど。
 とにかく、そんなこんなでここ二年、サンジが配達担当のゾロと接触する機会はかなり多かったわけだ。
 ところが、女好きなサンジにとって男など敵でしかない。
 当然、愛想を振りまくわけがない。ゾロの境遇に対する同情心とちょっとした尊敬から、他の同年代に対してよりは柔らかい態度だったかもしれないけれど、それでも、どう贔屓目に見ても社交辞令の域は越えていない自信があった。
 それなのに、ゾロはサンジのことが好きだと言う。
 配達の魚が入った段ボール箱と共にその告白を受け取ったのは、ちょうどサンジが一途な恋への絶望をピークまで持ち上げていた時だったから、そのときは、こうなったらもう誰が相手でも同じことだ、それなら女の子を傷つけるよりはどうでもいい野郎を手玉にとってからかってやるのもいいかもしれない、なんて投げやりな気分で受け入れてしまったわけなんだけども。

(なんで、オレなんだ)

 告白されたその日の夜、布団に入ってからようやく、サンジはその根本的な疑問にぶち当たった。
 サンジを男と承知のうえで好きだと言ってきたことについては、ゾロがゲイだと考えれば説明がつく。それは別にどうでもいい。個人の性癖にかまってられるほどサンジだって暇じゃない。むしろ、 敵が減るのはいいことだと思う。でも、どうしてよりによってその対象が自分なのだろう。
 態度だとか以前に、サンジはゾロと喋ったことなんてほとんどない。
 店の定休日の日曜日を除いて、ゾロは毎日魚を届けにやってくるけれど、ほんとに届けるだけだ。祖父だったり自分だったりに品物を渡して領収書を切って出ていく、それだけで、サンジがかけた言葉といったら「ごくろうさん」とか「もっとまからねぇの?」とかそんなもんだ。店の残り物だといっては頻繁に差し入れを渡す祖父のほうが、よっぽどちゃんとした会話をしてると思う。
 態度に関しては、もしかしたらサンジが思ってるほどゾロには悪い印象を与えなかったのかもしれない。けれど、気が合うとか、優しいとか、内面的なものに惚れるのはゲイだろうがノーマルだろうが変わりはないはずで、そのためにはそれ相当の言葉のやりとりと時間がいるのだから、時間はともかく、ほとんど言葉を交わした覚えのないサンジには、どう考えても好きになられる要素はない。ということは。

(見た目か?見た目なのか?)

 自慢じゃないが、見た目には自信がある。
 体の線が細いのは確かだ。けれど、それ相応の筋肉がついているから軟弱にも見られないし、上背だって適度にある。先祖帰りの金髪碧眼も白い肌も、小さい頃は気にしていたものの男くさい男を嫌がる女の子には受けがいいと知ってからは、むしろ美点だ。
 それが、まさか男にまで有効だったなんて。

(そういえばあいつ、マッチョだもんなぁ)

 自分と違うタイプの人間に心引かれるのはよくあることだ。
だから、それなら納得できるなとサンジも思う。日に焼けた肌とごっつい筋肉、染めているのか天然なのか知らない緑色の髪を短く刈り込んで、いかにも野生的で活発そうな海の男のゾロと、自分だったら、確かに、裏と表くらい真逆だ。

「そっか、そーゆうことか」

 へー、とかふーん、とか言いながら、サンジはゴロンとうつ伏せになって枕に顎を乗せる。わりとあっさり答えが出てくれたおかげで、気分はなかなかに良かった。
 というか、なんとなく他人事だったのだ。接点はないし別にゾロのことを好きでもないしで、自分でOKを出したくせにつき合ってる実感もなにもあったもんじゃなかったわけだ。
 ところが、ふいに頭をよぎった新しい疑問に、サンジは他人事だなんて言ってられなくなった。

(やっぱ、ヤる、んだよな?)

 ゾロは自分と同い年と聞いた。
同い年ということは十九だ。十九なんて暇と相手さえいればとりあえずセックスだ。頭にはそれしかない。
 『好き』は『セックスしたい』と同義語で、『付き合う』は『セックスし放題』と同義語。男である限りこの定理は、少なくとも今の歳では覆せないだろう。サンジ自身もそうだし、周りの同年代の男共も皆そうなのだからこれは断言できる。

(ゾロとオレでセックス…)

 サンジは想像力の限界に挑戦することにした。手始めにお気に入りのAVをモデルに。
 あのゾロと。自分の倍は幅があるどこもかしこも固そうなあのゾロと。
 足の先から頭のてっぺんまで、だけじゃない、思考回路にまで男らしさを追求してるような、あのゾロと、自分が、セックス。

「…っムリ!!無理ムリ無理無理ぜってぇムリ!!!」

 限界は限界を超えて新世界に到達したようだ。サンジはうわぁああ、と唸りながら、布団の上を右に左にのたうち回り、それだけじゃおさまらずに布団をはみ出して畳の上をゴロゴロと転がっていく。
 背中がガタンっと音を立ててふすまにぶつかったところで、ようやく転がるのを止めて仰向けに寝っ転がった。
 エグかった。ビジュアル的にもの凄くエグかった。
 家庭教師が生徒にアレコレいろいろしちゃう、なんて設定がいけなかったのかもしれないけれど、それにしても始まって二分のシチュエーション説明の段階で断念してしまうのは相当なエグさだとサンジは思う。

(勃たねぇし。オレぜってー勃たねぇし。つうかあんな生徒ヤだし)

 そこで今度は、配役を逆にしてみることにした。
 先生がゾロで、生徒が自分。眼を閉じてムムっと顔を引き締める。ここまでくるともう意地だ。
 苦行僧みたいに深刻な顔をするサンジがすでに元々の目的を忘れ気味だったそのとき、それでもふと、重要なことに思いあたった。

(あれ?ゲイのセックスってそういや…)

 アナルセックス。
 その言葉が頭にひらめいた途端サンジは物凄い勢いで体を起こした。
 勢い余ってふすまの角に頭をぶつけて、そのおかげで我に返る。

(忘れてた…ゲイっつったらケツの穴使うんじゃねぇか)

 両者突っ込む側と突っ込まれる側を決める必要があるわけであって、なぜなら両者とも突っ込むべきモノも突っ込まれる場所も持っているからであって、さてこの場合自分はどっちに廻るべきなんだろう。
 背中に冷や汗をかきながら、負けてたまるか、と何に勝ちたいのかわからないままサンジは律儀に考える。

(突っ込むほう…は無理だ。かなり無理だ)

 役割としては女の子相手の時と変わらないけれど、なんたって勃つ自信がない。あの姿で色っぽく迫られたら、いっそ不能になるかもしれない。

(つうことはオレが突っ込まれ…いやいやいや更に無理)

 あの体つきだ。ゾロのは間違いなく相当でかい。そうすると絶対痛い。即ちに痔主だ。

(…やっぱ、断ろう。そうだ、それしかねぇ)

 『手玉にとってからかってやる』、なんて余裕はもうどこにもない。サンジは溜め息を一つつくと、四つん這いになってのろのろと布団の上に戻る。
 けれど、頭まで布団に潜り込んだところで、告白してきたときのゾロの姿を思い出した。
 ぼろぼろのジーパンと、冬なのに半袖の白いTシャツ、薄汚れた軍手。
 カウンターに段ボールをどさりと置いて、それと同時に、「好きだ」と、投げつけるように、ぶっきらぼうに、一言。
 首にかけたタオルで額の汗を拭う仕草は、正直かっこよかったかもしれない。
 「じゃあ、付き合う?」なんてどうでもいいふうに言った自分を見たときのびっくりした顔は、子供っぽくてかわいかったかもしれない。
 その後、領収書を切るのも忘れて逃げるように帰ってしまったときは、もっとかわいかったかもしれない。
 今更断るのは、ちょっとかわいそうかもしれない。
 自分の気まぐれを後悔する程度にはゾロを気に入っていたのだと、サンジは、このとき初めて自覚した。





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 午前八時の商店街は驚くほど静かだった。
 冬の朝は当然のように寒い。薄い色の空と穏やかに突き刺さる風の中を、通勤のサラリーマンや通学の学生達が歩いて行く。それを見送りながら、時には挨拶を交わしながら、サンジは竹ボウキ片手に店の前の掃除に勤しんでいた。
 ザ、ザ、と硬い音を立てながら、道路脇に立つ古ぼけた柱時計に眼を向ける。

(もうすぐか)

 ゾロが配達に来る時間だ。サンジは小さく溜め息をつく。
 なんとなく落ち着かない気持ちを、持て余すのはこれで二週間目だった。

「あ」

 路駐や段ボールでさらにせせこましくなっている通りを、青い塗装の軽トラックが近づいて来た。
 今にも壊れそうな音を立てて店の前で止まったところで、心臓が高鳴りだす。それは運転席のドアが開くと同時に最高潮だ。サンジは現れた人間と目が合う直前に、持っていたほうきを握りしめて俯いた。いつも通りに。

「うっす」

 ゾロの声がした。頭上で聞こえたその低くてガサガサした音と魚の匂いに、顔が火照るのもいつも通り。

「おはようさん」

 ポンポン、と大きな手で頭を撫でられたところでようやくのろのろと顔を上げるのも、上げた先に、ゾロのはにかんだような笑顔を見てまた心臓が悲鳴をあげるのも、これまたいつも通り。

「…おう」

 そして、精一杯平静を装って返事をして、もう一度同じように頭を撫でられて、荷物を肩に乗せたゾロが、

「まいどー」

 店の中に入ったら、終了。
 何が終了かというと、その日一日のゾロとの接触の全てが、だ。

「あーあ…」

 長い溜め息をついて、サンジは入り口の引き戸に寄り掛かる。
 また、断れなかった。やっぱり付き合えないと言い出せなかった。
 というより、ゾロが言い出させてくれないのだ。

(だってなぁ、なーんもねぇんだもんなぁ…)

 予想していたセックスのお誘いどころか、キスも、デートさえも。
 あるのは、こうして毎朝、配達で顔を合わせたときの一連の流れだけだ。
 中学生じゃあるまいし、なんて思うほどのこんな清純なお付き合いに、理由があるんだとしたら。

(やっぱ、本気って、ことだよな…)

 サンジの女好きは商店街では有名だった。
 八百屋の息子や肉屋の息子の彼女を横からかっさらってはひと騒動巻き起こしていたからだ。きっとゾロも知っているだろう。
 だからこそ、サンジがつき合うと言ったときにあれほどまでに驚いたのだと思う。ホモじゃない人間にアタックしてそう簡単にOKをもらえるとは思わないだろう。
 手を出さずにいるのもきっと、そんなサンジの出方に細心の注意を払ってるからだ。もしかしたら冗談なのか、それとも同じホモなのか、もしくはホモなのかどうなのか悩んでるのか、とにかくサンジが何を考えてゾロの気持ちに答えたのかを計ろうとしてるに違いない。
 けれどそれは、並み大抵の忍耐力じゃないはずだ。十代の男なら、好きな相手を目の前にしたら理性なんて九割型忘れて、ただひたすらなんとかしてもっと近づこうと、触ろうとするのが当たり前だ。サンジだってそうだ。何も仕掛けないでいるなんて耐えられない。なのにゾロは耐えている。そこで結論。
 それほどまでして耐え続けてられるなんて、相当好きじゃなければやってられないということだ。

「やっべぇよなぁ」

 ますます断れない状況を自分で作ってしまったことに、サンジはひどく後悔していた。
 だって、もし、最初に受け入れてしまっただけですぐに「やっぱり無理だ」と言っていたなら、ゾロだって大して期待もせずにすんだだろう。からかわれたと腹を立てるくらいですんだはずだ。
 なのに、二週間経っても、サンジは嫌そうな素振り一つ見せてはいないのだから、ゾロもいい加減冗談じゃないのかもと期待し始めてるだろう。せっかくあんなに耐えてくれてる人間に、わざわざ期待を持たせるだけ持たせたところで断るなんて、人でなし以外のなにものでもない。言い出させてくれないなんて言ってる場合じゃないのだ。サンジだってそれはわかっている。わかっているんだけども。

(なんかなぁ、楽しいんだよなぁ)

 今までサンジは、好きな子ができたら後先顧みずに猛アタックしてきた。
 それはつき合うようになってからも有効で、相手の女の子には思うままに好きだとか愛してるだとか言ってきたし、会いたくなったら速攻で連絡を入れたし、望まれれば人前でチューだって余裕でしてあげた。それが当然だと思っていたからだ。
 だから、お互い連絡もしない、用がない限り会わない、会ったとしても世間話一つしない。まだるっこしくてヤキモキして、この二週間道行く女の子に眼を向ける暇もないくらい、ゾロのことばっかり考えてしまうようなこんな関係に、サンジがハマってしまったってしょうがないのだ。だってまるで、今までずっと憧れていた、これぞ一途な恋そのまんまじゃないか。
 足りないのは、サンジのゾロに対する恋心だけだ。

(それがなー難しいんだよなー…)

 ハァ、と大きく溜め息をついて、サンジは再びホウキを動かし始める。
 二週間の間に、サンジはどうやったらゾロに恋ができるかを何度か考えてみた。そりゃあ相手は男だし、ホモだけれど、一生できないと思っていた一途な恋を実現できるんだったらそのくらい目を瞑ってもいいんじゃないかと思えるくらいには、ゾロのことを好きな気がしてきたのだ。
 ただし、それはあくまで対人間としてだ。恋にまでは到達していない。
 だからサンジは、ゾロのかっこいいと思うところとか好きになれそうなところとかを思い出しては、好きになれ好きになれ、と自分に暗示をかけるのだけれど、今度はそのたびにあの、告白された日の夜に思いついた数々のデメリット達が舞い戻ってきて邪魔をする。
 ということで、サンジはなにかきっかけが欲しかった。
 なにかきっかけさえあれば、そのデメリット達を吹っ切れるかもしれない。たとえばデートに誘われて迫られるとか。逆に、もしそこでどう頑張っても克服できないなと思うのなら、もうこれは諦めるしかないだろう。
 つまり要は、体だ。そのためには、きっかけだ。

(まずはデートだよなデート…デート?)

 ゾロとデート。いったい何をすればいいというんだろう。
 相手が女の子なら映画でもテーマパークでもなんでも思い付くけれど、男相手でも同じでいいんだろうか。それとも、男友達と遊びに行くみたいに、ゲーセンやバッティングセンターあたりの色気のないところでいいんだろうか。いやその前に、なんて言って誘えばいいんだろうか。一心にホウキを振りながら、サンジは考える。

(『デートしようぜ?』?なんかキモイな。『どっか遊びに行かねぇか?』?うん、このあたりが無難だな)
「なあ」
「うわ!は、はい!」

 夢中なあまりに扉の開く音に気づかなかったらしい。背後からいきなり湧いて出たゾロの声に、サンジは飛び上がった。
 恐る恐る振り向けば、祖父が昨日の残りでも渡したのだろう、段ボールの代わりに片手にビニール袋を下げてゾロが立っている。サンジは目が合わせられなくて、そのビニール袋に集中していた。

「おまえ、来週誕生日なんだってな」
「え?いや、まあ、そうだけど、それが?」

 声がどうにも上擦った。挨拶以外の会話をしたのなんて久しぶり、どころか、もしかしたら初めてかもしれないのだ。緊張せずにいられない。

「さっきじいさんに、おまえの誕生日に夜はごちそう作るから、俺も来いって言ってくれたんだけどな」
「え?あ、ああ、そう」

 そんな話、サンジは初耳だった。どうせ、ゾロに飯を食わせてやるための口実だろう。サンジの祖父はなにかとゾロに世話を焼きたがるのだ。
 ところが、話はそこで終わらなかった。

「…どっか、行くか」
「へ?」
「いや、どっか、二人で出掛けねぇかと思ってよ」
「…それって、デートってことか?」

 ゆっくりと目を上げてみる。と、そこには照れくさそうに目を泳がせるゾロがいた。その仕種が見た目のごつさにまったく似合わないくらい初々しかったものだから、サンジまで照れくさくなってしまって、困った。

「まあ、そうなる…な」

 だって、これじゃあまるで、ゾロに恋してるみたいだ。





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 デート前日、サンジが一睡もできなかった理由はいくつかある。
 緊張していたのもあるし、やっぱりダメだったらちょっと悲しいなぁというのもあるし、そうなった時にゾロを傷つけずに断れるかどうかという不安もある。
 けれども、いちばん大きい理由は明らかに、ゲイ雑誌を見た衝撃だった。
 勉強しておこうと思ったのだ。
 もしかしたら思ったほどエグいものじゃないかもしれないし、耐性がついて、ゾロにそういう段階を要求されても平気になるかもしれない。
 そんな前向きな望みを持って、商店街だと瞬く間にバレるからと隣町の本屋に変装してまで買いに行ったのだ。が。

(やめときゃよかった…)

 店の扉の前でゾロを待ちながら、早朝の爽やかな空気を無視してサンジの気分は最悪だった。今なら思い出し吐きできそうだ。そのくらい、その内容は壮絶に気持ち悪かったのだ。

 普通の生活では不可能な筋肉に埋もれたボディビルダーみたいなマッチョと、相撲取りみたいなデブが素っ裸で密着し合って、どうやらデブがつっこまれるほうらしくてぶよぶよの足をおもいっきり広げていて、修正されてるんだかされてないんだか分からない真っ黒な物体エックスがそのデブの尻に押しつけられていて、とにかく直ちに焼却炉へ投げ込んだくらいに気持ち悪かった。

(あーあ、行きたくねぇ…)

 アスファルトを片足で蹴っては舞い上がる砂埃をぼーっと眺めながら、サンジは、ゾロが来なければいいのにとけっこう真剣に願っていた。
 だって、条件反射で思いっきり拒否反応を示してしまいそうな気がするのだ。さっきからゾロの姿を想像すると決まって、ゲイ雑誌で見たマッチョと被って吐き気に襲われてしまう。ゾロはなにも悪くないのに。

(オレって最低…)

 気分の悪さに自己嫌悪が参加して、サンジはもう泣きそうだった。
 ヤケになってたところに好きだと言われて、軽くOKして、夢に見た一途な恋に浮かれるあまり断ることもできずに流されて、そうして今度は、一人で嫌になってゾロを傷つける真似をしようとしているなんて、どれだけ自分勝手なんだろう。ほんとに最低だ。
 せっかく、ゾロのことを好きになってきたのに。仲良くなれたのに。ゾロのことだけ考えて、朝のほんのちょっとの会話でドキドキする、そんな時間が、あと数分で終わってしまうのだ。ゾロと顔を合わせた時点で、全てが無くなってしまうのだ。
 そうしてまた、いろんな女の子に気を惹かれながら誰にも本気になれないままの自分に戻ってしまうんだろう。

(ああもうすっぽかそうかな…)

 サンジがすっかり逃げの態勢に入っていたときだった。目の前に、見たことのない黒い四駆がスルっと流れるように現れて、静かに止まった。
 きっと、ゾロだ。予想される嫌な未来を迎えたくなくて、サンジがドアの開く音を聞いても顔を上げられないでいたら、頭にポン、と手を置かれた。いつもみたいに。ビクンと体が強張る。

「どうした?具合悪いのか?」
(いいヤツだなー…)

 こうやって頭に手を置いてもらえるのも最後なんだと思うと、ひどく悲しくなる。けれど、いつまでも俯いていたってしょうがない。  サンジは覚悟を決めて顔を上げて、そして呆然とした。

(へ?誰コイツ?)

 目の前にいるのは確かにゾロだった。
 でもなんだか、やたらとかっこいい。ボロボロのジーパンと、半袖ではないにしてもありふれた黒いパーカー。いつもと対してかわらない格好だ。なのに、その姿も、心配そうに潜められた顔も、こんなにかっこよく見えるのはどうしてなんだろう。

「調子悪いか?だったら今日はやめるか?」
「っい、いや!そんなことねぇよ!えーと、ほら、その車どうしたのかなって思って!」
「ああ、これな」

 ゾロがニカっと笑う。その顔にこれまたときめいてしまって、サンジは分けも分からないまま顔がポン、と赤くなるのがわかった。  なんなんだろう。どういうことなんだろう。
 これじゃあ、気持ち悪いどころかほんとに恋してしまいそうだ。

「死んだオヤジの愛車だったんだ。ちっと型は古いんだけどよ、軽トラよりはよっぽどマシかと思ってな。さすがに…カッコつかねぇだろ?デートに軽トラ乗ってきたら」

 サンジの頭に置いていた手をジーパンのポケットに押し込みながら、ゾロが照れくさそうに言う。その顔に今度はカワイイだなんて咄嗟に思ってしまって、もう自分でも意味不明だ。
 促されてフラフラと助手席に乗り込みながら、サンジは一人悶々と考える。

(なんなんだこれ、どういうことだ?予想と全然違うじゃねぇか。予想と…ん?予想?)
「ぁあああ!」

 サンジは思わず叫んだ。

「そうか、そういうことか…!」
「な、なんだ?」
「いや、なんでもねぇ!なんでもねぇんだ!いいからさっさと行こうぜゾロ!」

 驚くゾロを見て我に返りながら、サンジの心はさっきまでの沈み具合が嘘のようにすっきり爽快だった。
 そうだ、違って当然なのだ。
 ゾロとあのマッチョは違う。そんな当たり前のことをサンジは忘れていたのだ。
 そして、それだけじゃない。同じゲイでもあれだけ濃いのを見たあとだけに、ゾロが何倍にも増して爽やかに見える。

(だいたいさーオレだってあのデブとは違うんだしさーオレとゾロがいちゃついたってあんなエグいわけねぇよなー)

 つまり、あの雑誌が当て馬になってくれたわけだ。車にエンジンをかけるゾロの横顔をこっそり観察しながら、サンジは自分がゾロとイチャつく場面を想像してみた。
 全然気持ち悪くない。むしろ普通にラブラブないい感じだ。
 これは、イケるかもしれない。サンジの胸は希望で満ちあふれた。ゲイ雑誌サマサマだ。
 この調子でいけば、ほんとにゾロに恋してしまうかもしれない。運転するゾロの姿には相変わらずドキドキしてるし、イチャつく姿を想像しても拒絶反応は出ないし、あともう一押しグッとくる瞬間さえあれば、たちまち好きになれるだろう。どころか、セックスの お誘いさえ平気な気がしてくるから不思議だ。

(頑張れオレ!チャンスを逃すな!)

 こうなったら、悩みだったはずの惚れっぽい性格を最大限に発揮しなきゃならない。サンジは拳を握りしめながら、今日一日全神経をゾロに集中させることを心に決めていた。グッとくる瞬間を逃さないために。
 そして、その瞬間は逃す暇もなくサンジに連続攻撃を喰らわすことになる。
 まず、第一撃目。

「なぁ、どこ行くんだ?」

 道路は日曜日にしては空いていた。そのことに余計に気分を良くしながら、ラジオから流れるBGMを口ずさむのを止めてサンジが明るくそう聞くと、ゾロは片手でハンドルを握りながら、背もたれに体を預けきって言った。

「あー…実は考えてねぇんだ。どっか行きたいとこあるか?」
「んー別にねぇなー。あ、テメェがいっつも遊んでる場所でいいぜ?」
「俺のか?…や、いいけどよ。楽しいかどうかは保証しねぇぞ?」
「いいっていいって。テメェがどんな遊びしてんのか興味あるし」

 目の前の信号が赤に変わった。最初現れたときのようにほとんど衝撃なく車を止めるゾロに、運転うまいなー、なんてサンジが惚れ惚れしてたところで、ゾロが助手席のほうへ顔を向けた。

「んなこと言って、アブネェとこ連れてかれたらどうする?」
「…っ」

 ニヤリ、と、口の端を上げて男っぽく笑ったゾロの顔に、サンジはグラっと来てしまったのだ。
 そして、第二撃目。
 どんどん人気のないほうへ向かっていく車に、もしかしてほんとにアブナイ所へ連れてかれるんじゃないだろうか、なんて不安と期待でドキドキしていたサンジは、車を降りて呆然とした。

「遊ぶとこっつってもここしか思いつかねぇんだ」

 漁港だった。

「…言ったろ?保証しねぇって」

 後ろからひどくきまり悪そうな声が聞こえる。咄嗟に振り向くと、ゾロが子供みたいにシュンとした顔で立っていたものだから、サンジは胸がキュンとしてしまった。

「別んとこいくか?」
「っや、いい!ここでいい!」

 ほんとはあんまりいいと思ってなかったけれど、それでもサンジは精一杯の笑顔を取り繕う。
 だって、もしここで嫌だといったら、ゾロは絶対傷つくだろう。それはダメだった。ただでさえ、不安そうなゾロの顔に胸が痛くなったのに、傷つけてしまったらそれこそ立ち直れないくらいサンジは後悔してしまう自信があるのだ。

「オレ、いかにもデートコースっつうのにはもう飽きちまってたからさ、ちょうどいいちょうどいい!」
「そうか?」

 それに下手にデートスポットなんかに行って元カノに会ったりしたら気まずいし、とは言わないでおくとして、ホッとしたように笑ったゾロにサンジもホッとしながら、どんなにつまらなくても楽しそうにしよう、なんていう決意は、けれどまったく無駄に終わるのだ。

「うわすっげぇ!でけぇよこのアワビ!」
「だろ?ほら、醤油垂らして食ってみろよ、うめぇから。日本酒もあるぞ?」

 味覚三昧から始まって、

「ゾロ!なんか引いてる!なんか引いてるって!」
「よし、そのままゆっくりリール巻いてけ。ゆっくりな」

 釣りもやりつつ、

「おーいゾロ、久々に漁出てみるか?なんならそっちの兄ちゃんも一緒にどうだい?」
「だってよ、どうする?」
「行く!」

 という具合に漁にまでお供して、気づけばデートだと忘れてしまうくらいサンジは目一杯楽しんでしまったのだ。さらに、日に焼けた中年の男たちと一緒に網を引っ張るゾロが最高にカッコよくて見蕩れてしまったりして、これはほんとにイケるかもしれない、といよいよ心を浮き立たせていたところに。
 最終打撃。

「さっき穫れた寒ブリ、おっさんに分けてもらったんだ。俺、金ねぇし、プレゼントってことでこれ、受け取ってくれ」

 差し出された発砲スチロールの箱を前に、サンジはもう頭が真っ白になった。
 サンジは女の子達からいろんなプレゼントを貰ってきた。
 ブランドもののネクタイとかアクセサリーとか、手作りのお菓子とか手編みのマフラーとか。全部嬉しかったし全部大切に使ってきた。
 けれど、こんなにワクワクしたプレゼントは初めてだ。
 寒ブリなんて、どうやって料理しようか。どうやったらゾロに旨いと言ってもらえるだろうか。なんて、貰った後の使い道を楽しませてくれて、そのうえサンジにとってなにより好きな料理を、好きな人に食べさせてやれる喜びまで味合わせてくれるプレゼントを、ゾロはさらっとサンジにくれたのだ。ツボを突きまくりなのだ。

(あ、なんかもう、すげー好き)

 帰りの車の中で、サンジは寝たフリをしながらゾロの横顔を盗み見て、なんとなくフワフワしながらそう思った。
 思ったら止まらなくなって、好きだと言ってしまいたくなって、けれど真正面から言うのが恥ずかしかったから、寝言のフリをしてこそっと、それでもゾロには間違いなく聞こえるように、好きだ、と呟いてみた。
 そのときのゾロの顔は見逃してしまったんだけれど、これから何回でも見れるから別によかったし、何回でも見たいと思うくらい、ゾロのことを好きになれたことがサンジはすごく嬉しかった。

(チューくらい、しねぇのかな)

 なんて思える自分が、恥ずかしいのに誇らしかった。
 なのに。

「ふっざけんじゃねぇぞあの野郎!」

 街灯に照らされた夜道を、サンジは今つんのめるように歩いている。ゾロの家を目指して。
 漁港を出てから、予定通り二人はサンジの家に来た。そして、祖父の料理を食べた。もらった寒ブリはもちろんサンジが料理して、それも皆で食べた。ゾロの食べっぷりに胸がときめいたり、ゾロと祖父の会話がマスオと波平みたいで、

(じゃあオレサザエ?やべぇドラ猫ってどんな猫だよわかんねぇよ追いかけらんねぇじゃねぇかコンチクショウ)

 勝手に思って勝手に照れたりもした。
 そして、それだけだった。
 食べ終わって三人で喋って、祖父がもう寝るからと部屋に入って、いよいよだと思ったのだ。自分の部屋に来て、そのままそういうことになると思ったのだ。
 なのに、トイレに立つ振りをして半分開いていた祖父の部屋のふすまをきっちり閉めて、色々な覚悟とか緊張とかでドキドキしながら、戻ってみれば。

『俺も、そろそろ帰るな』

 開口一番、これだ。
 冗談かと思ったら、本当に帰ってしまった。

「人がどんだけ覚悟したと思ってんだ!」

 納得がいかなかった。
 好きならセックスしたいと思うのが普通だろう。他の人間が居るのを気づかってそこまでできなくても、せめてキスくらいはするだろう。それとももう。

(オレのこと、好きじゃねぇってのかよ…!)

 飽きたとでもいうのだろうか。こんなに好きにならせておいて、今さら。

「…っ」

 泣きたくなってきた。悔しい。それ以上に、悲しい。
 自分はあんなに楽しかったし、嬉しかったのに、ゾロはそうじゃなかったんだろうか。

「っあーやめやめ!キリがねぇ!」

 わざと声を出して言ったのは、自分を奮い立たせたかったからだ。
 ゾロに聞こう。ちゃんと、自分のことがまだ好きかを聞こう。話はそれからだ。もしかしたら、まだ遠慮していたのかもしれない。そうさせてしまうような態度を、自分はとっていたのかもしれない。そうだとしたら、言おう。いや、そうじゃなかったとしても、もう飽きられていたとしても、言おう。
 好きだって、言おう。
 ゾロの家の前に立った。大きく息を吸って、吐いて、上がっていた呼吸を落ち着かせる。
 窓の明かりは全て消えていた。まるで家ごとサンジのことを拒絶してるような気がして、また悲しくなった。
 玄関のチャイムを押した。しばらく待っても、誰も出てこない。
ゾロの母親がいないのはわかっていた。やもめの八百屋の店主と恋仲になって、ほとんどそっちの家に寝泊まりしていると近所のおばちゃん方の間で評判だからだ。
 じゃあゾロは、寝ているのだろうか。それとも、来たのがサンジだとわかって、無視しているのだろうか。
 サンジは反射的に窓を見た。人の気配がないことにほっとする。
 ノブを回してみた。ドアは簡単に開いた。泥棒みたいな真似をしている自分のみじめさを必死で振り払って、目の前の階段を登った。
 部屋は二つあった。どっちの部屋かはすぐにわかった。音がしたからだ。
 ドアの前に立つ。もう一度深呼吸をして、全てを断ち切るみたいに思いきりドアを開けた。

「な、サンジ…?!」

 ゾロは居た。暗い部屋のベッドに寄り掛かって、ドアに横を向けてあぐらをかいていた。
 サンジは、それを見て呆然とした。
 ひっくり返ったゾロの声がカラスみたいだったからじゃない、ゾロがズボンとパンツをずりさげていたからでもない、マスをかいているゾロを見てショックだったからでもない。
 大きな手で握られているゾロのチンコが、暗闇でもわかるくらい、

「と、とんがりコーン…?」

 素敵にお手軽サイズだったのだ。


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