いったいこれで何十回目だ。
午前二時。窓の外からは車のエンジン音さえしない。明かりもなく暖房も効いた寝るには最適な静かな空間も、けれどけたたましい電子音のおかげでぶち壊しだ。
 用件なんてわかりきっていたゾロは、めんどくさそうにベッドヘッドに放り投げてある携帯をつかみ取り溜め息をつく。

「もしも、」
『もしもしゾロか!!』

 ほらみろ。寝起きの目を潜めて携帯片手にベッドから立ち上がった。床に散らばる服を取り上げようとして、止めた。着替えねぇでもいいか。めんどくせぇ。ペラペラのTシャツとスウェットのまま居間へ向かう。

「そんで?今度はなにやらかした?」
『やらかしたどころの騒ぎじゃねぇっての!』
「…ウソップ、もったいつけてねぇでさっさと言えよ」

これ以上イライラさせないでもらいたかった。ただでさえ寝てるところを起こされて不機嫌なのだ。
そういえばまだ眠かったな。ソファにぶら下がっていたジャンバーを引っ掴みながら、思い出して大あくびをかまそうとしたとき、

『サンジのやつキレちまったんだよ!』

 ダレた意識が一気に目覚めた。

「バカ野郎!それ早く言え!」

 玄関まで突進する。冗談じゃねぇ、死人出すつもりか。

「場所は?」
『国道沿いの公園だ!』
「死んでねぇだろうな?」
『一人はなんとか…でももう一人は意識ねぇっ』
「すぐ行く。人殺しになりたくなきゃ死ぬ気で止めろ!」

 返事を待たずに携帯を切った。ポケットにねじ込みながらスニーカーのかかとを踏んでドアを開ければ、冷たい風が頬に突き刺さる。うんざりする。

「ったく、あのアホ…っ」

 玄関脇に停めてあるバイクに飛び乗った。冷えてかかりにくいエンジンに舌打ちがこぼれた。  

 『自警団』、と言えば聞こえがいい。
 制度の確立は数年前だ。それまでは治安の最悪な地区だった。県の刑務所の五割はこの地区の人間が世話になっている。そう言われるくらい物騒で、窃盗、レイプ、強制売春、薬物売買、時には死人も出た。
 警察もさんざん手を焼いていた。なんとかして鎮圧しようとしたその最終手段が、『有志による独立治安維持団体』の結成。要は暴力統治だ。毒は毒で相殺してしまおうというわけだ。
 選抜方法は様々だ。警察が手持ちのブラックリストから選びだしたり、『自警団』が直々に推薦したり、本人から志願したり。
 ただし、人殺しもためらわない危ない連中を押さえつけるほどの腕と実践経験が必要とされるからには、それ相当の前歴を持ってる人間がほとんどだ。年少上がり、ムショ上がり、暴走族、ヤクの売人やチンピラ崩れ。叩いたらいくらでも埃の出そうなそんな連中ばかり集まった『自警員』を、まとめあげるのが『自警団長』のゾロとサンジの仕事だった。
 『自警団長』は必ず二人いる。
ただでさえきかない『自警員』を納得させるためには、それこそ人外な強さが必要になる。それは言い換えれば、理性を失ったら誰も止められないということだ。だから二人置くことで、お互いをストッパーにしなければならない。
 つまり、同地位にある限り、キレたサンジを止めるのもゾロにとっては一種の仕事だった。
 にしても、限度ってもんを知りやがれ。どんだけ呼び出しゃ気が済むんだ。基本料金払ってもらえるだけドリンクバーのがまだマシだろうが。ようやくエンジンがかかったと同時にゾロはアクセルを目一杯ふかした。
 ガソリン代は絶対あいつに払わせてやる。





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「ゾロ!」

 公園の入り口にバイクを停めると、電話の主が白い息を吐きながら駆け寄ってきた。早足で現場に案内させながらゾロは口を開く。

「どうなった?」
「それが、近くに居たヤツら片っ端から呼んで全員で飛びかかったんだけどよ、あっという間に蹴り飛ばされちまった」
「期待はしてねぇよ。時間稼ぎだ。そんで、相手はなにやらかした?」
「通行人の女マワそうとしてたんだ。サンジのやつ、巡回中に見つけてぶち切れちまって」
「やっぱ女か…」

 巡回は、『自警団』の仕事の一つだ。
 午前十二時から午前三時まで交代制で行なうが、それはあくまで『自警員』の仕事だ。『自警団長』は手に負えない相手の時だけ呼び出される。サンジが巡回に顔を出すのははっきり言ってただの趣味だ。
 ゾロは金髪男のでれでれ笑う顔を思い出した。頭が痛い。何がオレ様は夜の騎士、だよ。単なるナンパついでだろうが。厄介ごとの原因は決まってあいつのフェミニズムだ。
 ただ、おかげでレイプと強制売春がなくなったのは確かだった。女だけは巻き込んではいけない。この街であの男に殺されたくないなら誰だって知ってることだ。

「つうことは、他所者か?」

 さっみぃなオイ、と両手を擦り合わせていたウソップが顔を上げる。

「ああ。被ってた帽子にバッジ着いてたから、たぶん『西』のモンじゃねぇかと思う」
「にしぃ?なんで『西』の連中がここに居んだ?」

 地区はさらに街ごとに東西南北分断されていた。
 もちろん各地区にそれぞれ別の『自警団』がある。互いに不可侵が原則だが、血の気の多い連中ばかりだ、派閥争いだの下克上だの起こしては他の地区も巻き添えにされるから、現実問題としていざこざは絶えない。
 ますますめんどくせぇ。せっかく近頃平和だったってのに。ゾロはいい加減帰りたくなる。

「ナミのやつならなんか知ってんじゃねぇか?って、ゾロ、あそこだあそこ」

 指された先には、壊れた街頭の明かりに照らされて、見慣れた金髪があった。
 手にはボコボコに顔を腫れ上がらせた男が一人。足下にはもう一人血だらけの男が倒れている。他に何人か転がってるのは、止めようとして巻き添え食った『自警員』連中だろう。
 うめき声さえもう聞き出せない塊になった男の、襟首を掴んで蹴り上げ、叩きつけ、踏みつぶし、また拾い上げる。鬱陶しく点滅する電球の下、まるでなにかの作業のように淡々とそれを繰り返すサンジの、跳ねる血しぶきを浴びたその白い顔は無表情か、下手すれば薄笑いにさえ見えた。不気味を通り越して狂気沙汰だ。

「あーありゃイってるな」
「だろ?」

 大げさに溜め息をつくウソップを横目に、こいつも慣れたもんだよなぁ、思ってゾロは場違いにも笑いをこぼす。
 別に『自警員』なわけでもないのに、サンジとつるんでるうちにいつのまにか巡回にまで引っぱりこまれるようになって、挙げ句こんな光景も当たり前だ。
 あんなヤツとつるんでたらまともな生活できねぇぞ。そう言ってからかってやろうとして、けれど寸でのところで止めておいた。まともじゃないのは自分も一緒だ。

「サンジ!やめろ!」

 だからといって死人を出すわけにもいかなかった。さすがに捕まる。殺さないことが『上』から頂戴した最低限の規則だ。
 けれど案の定、サンジが気づく様子はまるでなかった。このまま放っといたら殺すまで、どころか殺しても気づかないだろう。
 ゾロは大きく溜め息をついた。しょうがねぇ、実力行使だ。隣で呑気に傍観してる男に声をかける。

「ウソップ、鉄パイプ持ってるか?」
「あ?ああ、一応な。でもおめぇ、」
「いいから早く出せ。このままじゃあの男死ぬぞ」
「…わーかったよ」

 ガムテープで背中に張りつけた鉄パイプは、『自警員』の標準装備だ。もともと人好きする性分だからだろう、『自警員』たちにやたらと懐かれたウソップも、おもしろがって持たされるようになっている。
 ゾロは腕くらいの長さのそれを受け取ると、瞬間、サンジに向かって走り込んだ。
 サンジが振り向いた。同時に掴んでた男を放り投げて回し蹴りを振り上げる。ヒュン、と音を立てて風を切ったその足を体勢を低くしてギリギリかわすと、ゾロは鉄パイプを大きく振りかぶってサンジの脇腹に叩き込んだ。

「……ってぇ…っ」  

 サンジが膝をついた。
 蹲る男のそばに立って、ゾロがじっと様子を見下ろしていると、いきなり、半分涙眼になった青い眼がギロっと睨みあげてきた。
 それはさっきまでの気味の悪い薄笑いが嘘のような、感情がありあまった子供みたいな眼で、思わずゾロは苦笑した。まったく、同一人物とは思えねぇな。

「正気に戻ったか?」
「残念ながらな。あーいてぇー…」

 痛い痛いと言ってるうちはたいして痛くもない証拠だろう。そう決め込んでゾロは、サンジをとりあえずそのままにすると倒れた二人の男に近寄った。しゃがみ込んで口の前に手をかざせば、生温い呼吸が当たる。
 間に合ったみてぇだな。小さく息をつくと、再び元の位置に戻った。
 そして、なんとか立ち上がろうともがいていたサンジを今度は担ぎ上げた。

「うわ!なにすんだテメェ!おろせ!おーろーせ!」
「うっせぇ!ガタガタぬかすんじゃねぇ!ウソップ、その男二人病院連れてってくれ。他のは人呼んで帰らせろ。俺はコイツ連れて帰る」
「ラジャー」
「一人で帰れるっての!いいからおろせー!」
「うっせぇっつってんだろうが!大体テメェはキレすぎなんだよ!」
「レディに乱暴働くクソ野郎ぶちのめして何が悪いってんだ!」

 ぎゃあぎゃあ喚き合いながら遠のく二人を、ウソップはうんざりした顔で見守っていた。

「ったく、バケモノどもめ」





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「ほら見ろ痣になってんじゃねぇか!このクソマリモ!ハゲマリモ!マリマリモ!」
「意味がわかんねぇよ」

 ベッドに落とされた途端セーターをめくって喚き始めたサンジに、ゾロは露骨に顔をしかめた。
 バイクに乗ってる間中も喋り続けていたが、何を言ってるか聞こえなかっただけマシだ。マジで二重人格じゃねぇのかこいつ。ジャンパーを放り投げながら、ゾロはわざと目を合わせないでおく。
 合わせたら、思うつぼだからだ。マシンガントークに拍車がかかる。

「ミドリゴケ!人工芝!いったいどこのゴルフ場から逃げ出した?!」
「テメェこそどこの養鶏場から逃げ出したんだこのひよこ頭」
「なっ!ひよこってなんだひよ、っぶ」

 だから、言うことは言わせてもらってあとは強制終了だ。近くのクッションをサンジの顔に向かっておもいきり投げつけてから、壁際に押しやって狭いシングルベッドに無理やり身体をねじ込む。いくらサンジが細いといったって、しょっちゅう男二人分の体重を支えることになってもびくともしないこのベッドは、安物にしてはなかなか優れものだった。
 サンジに邪魔されないうちに、ゾロは言った。

「てめぇ、いい加減巡回混ざるのやめろ。下に示しつかねぇだろうが」

 返事はきっと『オレの勝手だろ』。どうせ聞きやしないのはわかっていた。それでも言わなきゃならない自分の立場にいい加減嫌気がさす。
 ところが予想は思い掛けなく大はずれだった。
 喋れるタイミングを待ち構えていたように開きかけた口が突然閉じたかと思うと、めずらしくしおらしい声でサンジは言った。

「だってさー…あと二か月しかねぇんだぜ?なんか寂しくなっちまってさ」
「そういやそうだったな」

 代替わりだ。もうすぐその引き継ぎがある。ゾロとサンジが、隣の県の大学に行ってしまうからだ。『自警団』の管轄はあくまで自治体単位だったから、県を出た人間を公な力では守りきれない。だから、その時点で自動的に引退になる。

「しょうがねぇだろ。先代だってすっぱり止めたじゃねぇか」

 なんとなく寂しいのはゾロだって一緒だった。それでも、ものには引き際がある。サンジだってそれをわかっているから、だからこそ寂しいんだろう。

「だよなぁ。あんなに強かったのになぁ。オレ、今でも勝てる自信ねぇもん」
「ひでぇサドだったしな」

 途端、ゴロゴロとベッドに転がっていたサンジが身体を起こした。

「そうそう!総当たり戦だったもんなぁ!死ぬかと思ったぜ。自分達は高みの見物でさー」

 青い眼が楽しそうにキラキラと輝く。それがひどく子供っぽく見えて、ゾロは溢れそうになる笑いをすんでのところで耐えた。

「一人、やたらでかいの居たよな。そのくせすげぇすばしっこいヤツ」
「あー居たなーあいつにゃ手こずったよなー。今どうしてんだっけ?」
「結婚しただろ。女孕まして。地元帰ったんじゃねぇか?」
「そーだったそーだった!奥さんクソカワイイんだよ確か。ちっちゃくて。あんな熊みたいなのの何がいいのかねぇ?」
「少なくともテメェよりゃ百倍マシだな」
「…テメェ今聞き捨てならねぇこと言いやがったな」

 今度はヤクザだって射殺しそうな狂暴な目に早変わりだ。くるくると忙しい男にゾロは眼を細める。

「ほんとのことだろうが。安心しろ。テメェは一生結婚なんてできねぇよ」
「っんのや、うげっ」

 クッションの次はアッパーカット。枕に押しつけられてギブギブとうるさいサンジを無視して、空いた片手で電気を消す。

「もう寝ろ。俺は明日バイトだ」

 返答を聞くつもりはもとからなかった。ゾロは隣でごちゃごちゃ喚く声を無視して、目を閉じた。
  この後何が起こるかを知り尽くした上で。





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  始まった、と思った。
  隣で、起き上がる気配がする。ゾロは息を詰めた。

「ゾロ。ごめんな」

  唇に、かさついた皮膚が触れるのを感じる。

「…好き、なんだ」

  ゾロはひたすら、目を瞑ってじっとしていた。気配が遠のいていく。小さくドアの閉まる音がしてから、金縛りが解けたようにようやく目を開いた。大きく息を吐いた。
 気づいたのは数カ月前だ。
 眠った自分にキスをして、好きだと、囁いて帰っていく。それでも気づいていない振りをするのは、どうすればいいのかわからないからだ。
 サンジのことが好きかと言われれば、間違いなく好きだと言える。嫌いな人間を傍に置くほどお人好しじゃない。だからって、サンジが言う好きとはきっと違う。
 サンジに初めて出会ったのは高校に入ったときだ。
 昔から人見知りで初対面の相手に愛想が悪い自覚のあったゾロは、中学のころからよく因縁をつけられていて、その度にぶちのめしていたらいつのまにか周りに誰もいなくなった。それでいいと思っていた。独りのほうが気が楽だと思っていた。
 だから、目つきが気に入らないとかなんとか理由はくだらないことだったと思う、とにかくサンジがいきなり食って掛かってきたときも大して驚きはしなかったのだ。また、一度負かせば二度と近づいてこないだろうと。
 ところがサンジは負けなかった。ゾロはそりゃもう驚いた。    
 自分と互角にやり合える人間になんて今まで出会ったことなんかなかったのに、こんなに細い体のいったいどこからそんな力が出るんだろうと思うくらい、サンジは強かった。結局勝負のつかないまま、割って入った教師に止められて二人ボロボロのままその日は別れた。
 もっと驚いたのは、それだけでは終わらなかったことだ。
 近づかないどころか、サンジはそれ以来なんやかんやと世話を焼いてくるようになった。ゾロの意志なんて無関係で、しょっちゅういろんな場所に連れ回されて、両親が海外赴任だと知った途端ほとんど毎日家に上がり込んではメシを作っていくようになって、ここ何年かであの男の顔を見なかった日はないんじゃないかと思うくらい、サンジはゾロを放っておかなかった。
 それを、嬉しいだなんてあの男に伝えたことは一度も無い。
 けれど、当たり前のように馬鹿にされ、当たり前のように罵倒され、当たり前のように弱音を聞いて受け入れてもらえることが、どれだけ嬉しいかを、初めてゾロに教えてくれたのはあの男だった。
 だから、傷つけるわけにはいかないのだ。
 適当に話を合わせて応えたって、そんなものはすぐに見破られる。だからといって、今の気持ちを正直に伝えたとしても、間違いなくあの男が望むものじゃない。どっちにしたって、今の居心地のいい関係は崩れるだけだ。
 卑怯だとは思う。平気で人を半殺しにするような男が声を震わせてまで囁く真摯な告白に、答えられない自分が、臆病だとも思う。
 それでも、あの男を自分の傍に置いておくためなら、何をしたってかまわない。失いたくないのだ。

「…バカだよな、あいつも」

 俺なんかのなにがいいんだ。女好きのくせに。冗談めかして呟いたつもりの声は、酷く情けなく部屋に響いた。





::::::





 外は薄明るくなりはじめていた。
 頬に当たる風は切り裂くように冷たい。どこかから聞こえる鳥の声が、まばらに響く車の音と混じりだしている。もうすぐ夜が明けるだろう。玄関の扉のそばにしゃがみ込んで、サンジは火をつけたばかりの煙草を深く吸い込んだ。そうして、溜め息と一緒に白い煙を吐き出した。

「…切ねぇなー」

 呟いて、けれど笑ったつもりの顔は歪むだけだった。
 自分の気持ちに気づいたのは、一年くらい前のことだ。
 彼女ができたと、仏頂面をめずらしく崩したゾロに告げられて、叫びだしそうになったあの時の気持ちは、今でも思い出しただけで背筋が寒くなる。
 そんな顔させられるのはオレだけだ。隣に居るのもオレだけだ。そう思う自分がわけがわからなくて怖くて、気づいたらゾロの家を飛び出していた。どんな理由をつけたかなんて覚えていない。それどころじゃなかった。心臓が馬鹿みたいにドクドク打って立ってられなくて、外に出た途端今と同じように地面にしゃがみ込んでいた。
 彼女ができたって当然だ。あんないいヤツに、できなかったのが不思議なくらいだ。きっと、あいつは大事にしてやれる。馬鹿みてぇに怖い顔してるけど、ほんとは優しいんだ。童貞だし不器用だからキスもセックスも下手だろうけど、そんなのどうでもよくなるくらい、きっと優しい。なんも問題ねぇじゃねぇか。自分を追い込むように言い聞かせた言葉の羅列も、けれど息苦しさに立ち向かうことはできなかった。
 だから、認めるしかなかった。女に嫉妬してる自分を。
 渡したくなかったのだ。不器用な優しさや、たまに見せる子供っぽい笑顔や、自分が好きだと思うゾロを顔も知らない他人なんかに取られたくない。
 そうして気づいた。ああそうか。オレは、ゾロが好きなんだ。
 愕然とした。こんな報われない恋なんてあったもんじゃなかった。友達で、同性で、しかも彼女ができたと喜んでいる男を好きだなんて、なんて、馬鹿げた恋だ。
 しかも、気づいたところで選択肢は一つだけだった。友達』のままでいること。たとえあの男を騙していることになったって、離れなくてすむにはそれ以外どうしようもない。離れなくてすむなら。
 早く、忘れてしまおう。だからそれだけがサンジの頼みだった。なのに。

「忘れられるわけ、ねーじゃん」

 思わず震えてしまった声に、サンジは小さく舌打ちする。

 忘れるどころか、ますます好きになるばっかりだ。自覚してしまった途端、好きだと思うところばかりを見てしまうなんて、なんて都合がいいんだろうと思う。そのたびに鼓動を早めている自分を、なんてバカみたいなんだろうと思うのに、こうして、やめられないままでいる。
 家に泊まることだってできなくなった。間近でゾロの体温を感じて、眠れるわけがなかった。なのに、一緒にいる時間は相変わらず長く、そして、これからも長い。
 一緒に暮らそうなんて言い出したのはサンジのほうだった。
 まだ好きだと気づく前のことだ。同じ大学に行くことがわかったとき、てめぇ独りにしたらまたわけわかんねぇ食生活になるだろーが、なんて言ってはしゃいでいた少し前の自分を、張り倒してやりたいとサンジは思う。
 だって、考えただけでどうにかなってしまいそうだ。
 寝ぎたないあの男の習性に甘えた秘密のキスと告白も、抑えきれなくなりそうな気持ちを慰めるための自分なりに考えた予防線も、きっと少しも役に立たなくなる。
 もどかしくて足りなくて、自分から全てをさらけ出してしまう日が、そうして拒絶される日がきっとくる。

「…あーあ」

  泣きたくなってきた。
  ほんとうに、失うばかりの恋。



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