今から貸し切りにしろ。ああ、あとヘータイも五、六人集めとけ。
タクシーのなかで彼が、電話の向こうの誰かにそうつげるのを彼女は聞いた。ひどく平坦な、そのくせどこかおもしろがってるふうな彼の声がようやく彼女に向けられたとき、言い返せたのは彼の名前だけだった。これからいったいなにが起こるんだろう。なにをするつもりなんだろう。すべての問いを彼の名前ひとつに込めた彼女に、彼は、殺しゃしねェよ、とだけ言って笑った。いつも自分に向けられていた笑みがどれだけ優しいものだったのか、彼女はそのときはじめてわかった気がした。はじめて会った日に見せたよりさらに、逆うことを許そうとしない彼のその酷薄な目と、読むことのできない近い未来に、すこしだけ、怖いとおもった。
頼むから来るな。残されたたったひとつのその望みは、彼に言われたとおりの誘い文句にたちまち飛びついた女たちに拒まれた。

「晋助さま!おひさしぶりっス!」

連れて来られたのは小さなバーだった。中心街のなかでも特に夜賑わう大通りに馴染んでたたずむビルの、地下にあるそれは彼女たち以外誰も客らしい人影がなかった。
貸し切りってこのことか。真っ赤に塗られた重たいドアを開けた瞬間そう悟った彼女は、間接照明で薄暗く照らされたカウンターの、端にあるドアから現れたその張りのある声の女に、電話の相手が誰だったのかも続けて知ることになった。

「よォ」

片手を気持ちだけあげながらいちばん広いテーブル席に彼が座る。革張りのソファは柔らかくて、彼の隣にからだを預けたとたんひどく深く沈んだ。

「生でいいっスか?」
「なんでもいい」
「お嬢さんは?」

はじめて来た場所で、はじめて向けられた慣れない声にからだが強ばる。けれど見た目の年のわりにひどく無邪気な顔で笑いかえしてくれた女と、おまえ酒飲めるか?と聞いてきた彼のふだん通りに戻っただるそうな声のおかげで、ようやく気を抜く余裕ができた。意識して息を吐きだす。

「あんまし飲めねぇ」
「じゃあ飲むな。おい、」

そう言った彼にならって、あらためて振り向いたさきの女はやっぱり笑顔で、すこしだけ笑みかえすことができた。

「こいつにゃあジュースかノンアルコールのカクテルでもやってくれ」
「了解っス」

女が何種類かのビンを取り出しはじめると同時に、彼がタバコを取り出す。ふたりぶんの意識が自分からそれた隙に、彼女は店を見回してみた。
テーブル席はぜんぶで四つ。あとはカウンターに何個か背の高い椅子が並ぶだけだ。壁には英語のロゴが車のナンバープレートみたいな鉄板のうえでピンクやオレンジに光っていて、青みがかった照明がさらにそのうえから色を重ねている。あまり聞く機会のないような外国の曲は、椅子二つぶんも離れただけで会話に苦労する程度のボリュームだ。
こんな場所に来るのははじめてだった。友達や部活仲間と飲み会をすることはあるけれど、未成年でも黙認してくれる馴染みの古くさい居酒屋か、あとは誰かの家だけだ。物珍しさでいちどだけ顔を出してみた合コンではもうすこし洒落っ気があった気がするけれど、初対面の男と話を噛み合わせるので精一杯だったからあまり覚えていない。
そして、貸し切りの店になんて来るのもはじめてだ。彼とあの女は知り合いのようだけれど、だからってそう簡単に貸し切りなんてできるわけじゃないことくらいはわかる。しかもこんな子供ひとりの仕返しのためだなんて、いいんだろうか。あの女に迷惑なんじゃないだろうか。隣で気だるげにタバコを吸っている彼が、もう怖くないことを確認して、彼女はしんすけ、と呼んでみた。

「いいのか?こんな、貸し切りなんて」
「自分の店どう使おうが関係ねェよ」
「…は?」
「こーゆう自由効く場所一個あるといろいろ便利だからな」

自分の店?いま自分の店っつったよなこいつ。つうかいろいろ便利って、いったい何に便利なんだよ。
やっぱこいつヤクザだろ、といかにもどうでもよさそうな彼の顔を凝視していたところで、テーブルにグラスを置く手があらわれた。間近で見上げた女のすがたに、キレーな人だな、と素直におもった。
つり気味の目は大きくて、気が強そうなのにどこか愛嬌がある。染めているのか地毛なのかわからないけれど、サイドでくくってある長い金髪はサラサラで、裾の破けたデニムのホットパンツから伸びる足は細いのに色っぽい。なにより、長袖のTシャツの胸元には、あの目の前で修羅場を見せてくれた女に負けないくらいの谷間がある。
晋助ってこの人とも付き合ってたことあんのかな。だから仲いいのかな。グラスを手放したからだをそのまま対面のソファに沈めた女を、彼女はまっすぐに見ることができなかった。見たら、不安になる。自分にないものをこれ以上見せつけられたくないのだ。せめて化粧くらいちゃんとしてくりゃよかったと、彼女は後悔を覚えた。

「晋助さまオンナの趣味変わったっスねー」

一瞬、イヤミなんだろうかとおもった。おそるおそる覗き込んださきで目が合った女は、けれど相変わらず無邪気に笑いかけてくれて、すこしだけほっとした。隣でほんのすこし不機嫌そうにビールを飲み干す彼を見た。過去がどうだろうと、今自分を選んでくれた彼のすがたに、自分を勇気づけた。

「自己紹介遅れたっスね。来島また子っス」
「ひじかたトシ、です」
「…えーと、トシちゃんいまいくつっスか?」
「今年で十七、」
「じゅうなな!?」

女がテーブルにつんのめるようにからだを浮かせた。猫みたいに見開いたおおきな目に圧倒されて、おもわずのけぞる彼女をよそに、女は晋助に視界を移した。

「晋助さま!いくらなんでもエンコーはダメっスよ!」
「おいコラ、」
「たしかに犯罪一歩スレスレが大好きなのはよくわかってるつもりっス!でもエンコーはスレスレじゃなくて犯罪っスから!いくらふつうのオンナに飽きたからってこんな純粋そうなコだまくらかすなんて、」
「っあの、」

とたん、彼と女の視線が一斉に彼女を向いた。おかげで続けようとおもった言葉が一瞬のどに詰まってしまったけれど、だからって黙っているのも悔しかった。
エンコーだなんてするような人間に見ないでほしい。それに、彼を好きだという気持ちをただ子供だという理由だけでないがしろにしないでほしい。子供だって、誰かを好きになる気持ちは変わらないのに。

「あの、俺、エンコーなんて一生する気ねェし。ちゃんと…晋助のこと、好きで付き合ってるんだ。」

顔が赤くなるのがわかった。知らない人間のまえで自分の気持ちを言うなんてなれてないのだ。薄暗いとわかっていても見られてしまう気がして顔を俯ける。
だからそーゆうこと言うのはやめてくれ、と、続けるはずの言葉は、けれどなにか柔らかいものに顔を押し潰されて音にならなかった。

「かわいい!トシちゃんかわいい!」

苦しいほど押しつけられたその柔らかさが、女の胸だと頭から降ってくるその声のおかげでわかった。すげ、息できねェ。テーブル越しに引き寄せられた頭とともに浮きあがったからだがひどく不安定で、けれどいくらもがいても抜け出せないその豊かさにどこか感動していたら、離せバカっ、と怒鳴る声に合わせて彼が女を引きはがしてくれるのがわかる。
ようやくまともな息を吐きだしながら隣をみてみれば、とんでもなく不機嫌な顔で身を乗り出した彼に、けれど女はひるみもせずどこか拗ねたように眉尻をさげていた。

「ひとのモンにまで手ェ出そうとすんじゃねェこのレズ」
「えーだってかわいいんスもん。晋助さまにはもったいないっス」

え、レズ?マジで?好奇心に負けてうかがい見たさきで、女と目が合った。
いままでとは違う、薄暗い照明に際立つような笑みを浮かべた女に、彼女は一瞬引き込まれそうになった。なんだか、見てはいけないものを見たような気分だ。
顔が熱い。隣でドサッ、と音を立ててソファに身を投げる彼のいかにもうんざりした顔に、慌てて現実に引き戻してもらう。

「ねぇねぇ、晋助さま止めてアタシにしないっスか?テクには自信あるっスよ?」
「ヒワイなこと言ってんじゃねぇ」
「えー?晋助さまほどじゃないっスよー」
「俺のどこがヒワイだっつうんだ。テメェに比べりゃよっぽどマトモじゃねーか」

誰かコイツら止めてくんねェかな。聞いてるだけで恥ずかしくなる会話をシャットアウトする方法を考えていたら、テーブルのうえのグラスに気がついた。
手に取り口をつける。いままでまるきり手をつけてなかったオレンジ色の液体は、見た目どおりオレンジジュースで、一口目を飲み込んだとたん自分の喉の渇きを自覚した。続けざまに半分を飲み干しながら、よっぽど緊張してたんだな、とあらためておもった彼女は、どうして緊張してたのかも同時におもいだした。バッグのなかから携帯を取り出す。駅に着いたら連絡すると言った女たちから、着信はまだない。目の前に居る女の、犯罪スレスレ、という言葉と、彼の、殺しゃしねェよ、という言葉が頭のなかを駆け抜けた。
振られた過去もいまでは思い出そうとしなければ思い出せないのだ。むしろ、彼のものになれたいまを考えれば振ってくれたあの男に感謝したいくらいで、仕返しなんてだからすこしも望んでない。振られた自分を笑った声や、男を紹介すると持ちかけてくる女たちの明らかにからかうつもりしかない顔は、思い出すと腹も立つけれど、危ないめに会わせてやろうとおもうほどでもないのだ。
このまま来なきゃいいのに。二度目になる彼女のその望みは、数十分後、一度目とおなじように裏切られた。


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無駄に長くなりました。
レズなまた子ってえろくていいとおもうんだ!


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