「たいへんだったんだかんなぁ?」

カラカラッとグラスの中の氷をぶつけながら、高杉にむかって目を細める銀髪のただでさえ死んだ目はさらに死んでいた。
相変わらず酒よえーなァ。フローリングに転がった焼酎の空き瓶を横目で数えたあとで、壁にかかった時計を見れば、時刻は午前一時すぎ。こいつ明日仕事だいじょぶなのかよ。おもわず片眉をあげながら眺めたさきの銀髪は、けれどささやかな心配をまるで無視した勢いでグラスの中身を飲み干していた。
久々の光景に、そういやこいつと飲むなんざ何年ぶりだったっけなァ、と過去の記憶をなんとなく振り返ってみる。

「一時間におよぶ壮大なキョウダイ喧嘩の挙げ句、逆ギレしたトシちゃんたら『兄さんなんか大っ嫌ぇだ!』なんて捨てゼリフ残して部屋こもっちまうからよぉ。怒んの通り越してガンヘコみしたとーしろーなだめんの、メチャメチャ時間かかったんだかんなぁ?」
「クッ」

同じ顔が同じ調子で言い争う場面を想像して、つい吹き出した。彼女とそっくりな男がはじめて自分を見た瞬間の、目を見開いた顔までそういえば彼女と同じだったと、思い出したらそのまま笑いがとまらなくなって、高杉は、喉を鳴らしながら手にしたグラスごとからだを震わせた。
ほんとうは顔を見せるつもりなんてなかったのだ。彼女と同じ顔見たさはあったけれど、過保護らしい彼女の兄に会ったらきっと揉めるだろうと、そうおもったら面倒で、だから家の前まで彼女を送り届けてさっさと帰るつもりだった。
けれど、とーしろーには内緒にする?という銀時の言葉に、首を横に振った彼女が、やけにとまどった顔で高杉をうかがい見た瞬間、はじめて自分の立場の不安定さを知ったのだ。
家が隣同士だというだけで素性もなにも知らない男が、俺にしろと言ったところで本気かどうかなんて、色恋沙汰に疎そうな彼女にはかりようがないのは、考えなくてもわかることだ。まずいなと、高杉はこのときはじめておもった。いつもなら放っといても女から勝手に来ていたのだ。そうできるだけの価値を自身に見いだしていた女達と、ところが彼女は真逆だ。
いつもみたいに相手から来るのを待ってたら、彼女の場合たぶん一生来ないだろう。待つだけ待ってる間に、横からかっさらわれたらたまったもんじゃない。積極的に既成事実を作っていって、彼女が自分のものだと周りにも、彼女自身にも分からせるしかないのだ。
だから、めんどくせェなァとおもいながらも、俺も一緒に会う、と言った高杉に、彼女は予想どおりひどく驚いた顔をしてみせた。ギャーギャー騒ぐ彼女の兄を無視して、学校終わってヒマだったらとりあえず俺んち来い、とささやいたときには、自分の兄の怒り様も忘れてひどく嬉しそうに頷いていたのを、思い出して高杉は、含み笑いが勝手に苦笑に変わるのがわかった。
めんどくさいはずなのに、それが嫌じゃない自分がいることが、滑稽でしょうがない。

「おーおーメロメロな顔しやがって。高杉のくせに純愛なんざナマイキー」
「タダレたゲイにゃ言われたくねェなァ」
「ばっかオメー、俺ととーしろーのピュアっぷりったらアレよ?りぽんの表紙飾れるくれーのレモン味よ?」

あーマジかわいい。どーすっかなもう。なんて呟きながらひとりでにやけはじめた銀時に、気色わりィ、と手近にあったピーナッツの殻を投げつけながら、高杉は、今にも首を絞めて殺してやると言いそうな顔で自分を睨みつけていた彼を思い出す。
あれのどこがカワイイっつうんだ。これからいちばんの障害になりそうな彼をおもってため息を吐きながら、同じ顔してたってアイツのほうがよっぽどカワイイ、と、飛び出しそうになった言葉を慌てて酒と一緒に飲み込んだ。
目の前のバカ面をした男と、同レベルで闘うなんて人生の汚点だ。

「にしたってあのシスコンっぷりは行き過ぎだろ。あんな兄貴がいたんじゃ彼氏どころか男友達だってできねェよ」
「…あーそれはね、まぁ、しゃーねぇっつうかなんつうか」

歯切れの悪い言葉の続きを、高杉は、言わないのは許さないというおもいを込めて睨みつけた。銀時が情けなく眉尻を下げてそれに返しながら、自分の髪をもさもさと掻く。
ようやく口を開いたのはその後だ。

「あの子らの親父さんさ、他所に女つくって消えちまったんだと。んで、おふくろさんが新しいオトコ連れてきたらしーんだけど、そいつがトシちゃんに手ェ出そうとしたらしくてさ」

グラスを掴む自分の手に、高杉は無意識に力をこめた。

「ヤられそーになってるトシちゃん助けたのがとーしろーなんだってよ。もー当然のごとくガンギレして、相手のオトコ半殺しにした挙げ句おふくろさんにあんなヤツ訴えてやるっつったら、それだけはやめてくれってなって、そんで妥協案としてキョウダイふたり暮らしになったわけ」
「…ガキの身の安全より世間体って?」
「そーゆーこと」

サイアクだな、と呟いた高杉は、けれど、もしそんな目にあったのが彼女じゃなかったら、別になんともおもわない確信があった。
モラルなんて端から気にしたことはないし、他人がどうなろうと知ったこっちゃない。ただ、自分の気に入ったものを傷つけられるのが許せないだけだ。
高杉の言葉にまぁな、と呟きかえすと、銀時はポケットから折れ曲がったタバコを取り出しくわえた。火をつけて一息吐いたところで、グラスを眺めながら、でもさ、と言う。

「トシちゃんがオトコ嫌いになんなかっただけよかったってね、おもうわけですよ銀さんは」
「…テメェが女の心配してるとこなんざはじめて見たな」

高杉の知る限り、女に関心を持ったことなんか一度もない男だ。
高杉に泣かされる女を見て可哀相と口では言いながら、一歩あるけば忘れてしまうような男だと、知っているからこそ高杉は不信におもった。
まさか宗旨替えしやがったのか、と、脅しを混ぜた低い声に、彼女を渡すつもりはない意思表示を高杉が込めたことに気づいたらしい銀時は、苦笑いで否定を示した。

「自分の大好きな子とおんなじ顔した子が傷ついてんのは見たくねーし」
「俺ァべつに平気だけどな」
「や、俺も最初はそーおもってたんだよ」

けどさ、と、身を乗り出しながら銀時は、まるでなにか重要な秘密を打ち明けるように真剣な顔でささやいた。

「前に一回とーしろーと大げんかやらかしたとき、あいつ泣きながら笑ってさ。これがまた見てるだけで可哀そうになるっつうか、もうやべーのよ。危なっかしくて見てらんねぇの。手放したら最後死んじまうんじゃねぇかって。俺もう二度とこいつ泣かせねぇっておもったもん」

ハァ、と重たいため息を吐いて銀時が言葉を切る。灰皿にタバコを押しつけながら、なにも言い返さない高杉を気にしないどころかまるで忘れ去ったかのように、うつむけた顔に困ったような笑みを浮かべた銀時は、そしたらさ、と呟いた。

「なにあったのかしんねーけど、トシちゃんがおんなじ顔して泣いてんのみてさ。あーもうダメだって。この顔にゃかなわねぇなって」
「銀時」
「あ?」
「俺ァ、テメェがゲイでよかったっていまはじめておもった」

ありがとうと、泣きながら笑った彼女に、高杉はヤられたのだ。
今にも死にそうなほど頼りなげで、そのくせ誰にもけがしようがない強さを持ったあの顔を前にして、彼女をそうさせるものへの死ぬほどの怒りと同時に、他の誰でもない、自分のためにだけみせてほしいという想いが生まれたとき、ああ、これは自分のものにしよう、と決めたのだ。いちど浮きあがった心臓がまた落っこちるようなあのときの衝撃を、ところが目の前の男は同じように持ったんだと言う。
それでも彼女じゃなく、彼女の兄のほうを選びつづける銀時の性癖に、だから高杉は感謝さえおぼえるのだ。

「どうやらテメェとは好みが似てるようだなァ」

ニヤ、と挑むように笑ってみせた高杉に、銀時はすぅ、と目を細めた。酔いで死にきっていたはずの赤い目が、そのとき震え上がりそうなほど冷たく光ったのを高杉は見逃さなかった。命拾いしたな。一瞬で元にもどった男の目をまえに、高杉はおもった。
他人の手に渡すなんて冗談じゃない、邪魔する人間は殴り殺してでも自分のものにしたい、そんな衝動を、この男に向けることになったら、自分が死にかねないことくらい分かっているのだ。


end.


収集がつかなくなったのでやめます。
「かわいいひと」byウルフルズ
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