客からもらった黒い車は、見た目はいいけれど燃費はものすごく悪い。
たかが十数分でも、無駄だとおもえば切り詰めたくなるのは楽じゃない育ちのおかげだ。だからいつも、キーはつけたままでもエンジンは切っておく。
ドアを開けたとたん、肌をつつんだ生温い風はさっきまでクーラーに助けられてたぶん余計に気持ち悪かった。スーツのジャケットを脱ぐ。外に出るのと入れ替えに車のなかに放り投げて、ドアを閉める。
ボンネットに寄りかかりながら、眺めた腕時計も客からもらったものだった。頭のうえで浮かぶ月にはずっと負ける鈍さで輝く銀色が、教えてくれた時間は九時五分前。顔だけで背後を振り返る。三階建ての薄茶色をしたビルから、彼が出てくるまでは最低でもあと五分待たなきゃならない。
彼と寝た三日後、飲みに誘ったら彼はあっさりと受け入れてくれた。すこしも変わらない態度がやっぱりあの日のことをなんともおもってないんだと教えてくれて、イラついたけれど、おかげで彼が予備校の講師のバイトをしてると聞き出すことができた。来年、大学を卒業したらそのまま就職するつもりなんだという。就活なんざめんどくせェからな。そう言って彼はケラケラ笑っていた。
月曜日と水曜日と金曜日、午後五時から九時まで授業を担当してると聞き出したあとで俺は、できるかぎりの真面目さをとりつくろった顔でもういちど彼に告白した。俺がゲイだということも告白したらあの日よりはすこしだけ驚いてくれたけれど、一瞬のことだ。余所あたれ、のひとことに合わせてあっという間に興味のなさそうな顔を取り戻されたところで、端から予想内だった。そう簡単に落ちるとはおもってやしないし、落ちてもらってもつまらないだけだ。
追いつめて、逃げようがないくらい追いつめて、追いつめきったところでみっともなくすがりついてきた彼をどうでもいいふうに俺は、切り捨ててやりたかった。

「あ、お疲れさんっす」

人気のない夜道に、まばらな制服姿を見送ったら見せ物にされて、また人気がなくなったころだった。足音も立てずにあらわれた彼は笑いかけたところでひとつも表情を変えなかった。
手にはいつもどおりトートバッグがひとつ。なにも言わないまま近づいてくる彼のために、助手席のドアを開ける。やっぱりなにも言わないまま彼が乗り込むのを確認してから運転席のドアを開けた俺が、ジャケットを後部座席に投げ入れた拍子にため息を吐いたのは、これからの時間をおもってのことだ。
水曜日は俺が働く店の定休日だ。バイト帰りの彼を待ち伏せするために、月曜日と金曜日は仕事を抜け出す必要があった。
働き出してまだ一ヶ月かそこらの下っ端でも融通をきかせてもらえたのは、家庭の事情をダシにつかったせいもある。高校生の弟を幼稚園児だということにして、保育所に迎えに行かなきゃいけないんだなんて訴えをオーナーはあっさり聞き入れてくれた。
俺が店の稼ぎ頭なせいもあったんだろう。ホストになったのは単純に金が稼げるとおもったからだ。女にはまったく興味がないけれど、興味がなさそうなところがいいんだと言う客と、興味がないからこそ流されないですむ情と、あとはもとからの負けず嫌いのおかげで、いまでは店のトップを張れるだけの稼ぎを持っている。
プレゼントという名の価値も効果も選ぶ目だって身についていた。彼がよくつけているウォレットチェーンに合いそうなブレスレットを用意して最初に彼を待ち伏せたのが、飲みに行った週の金曜日のことだ。
予備校の、わざと正門のまえに車を横づけにして出迎えた派手なスーツすがたの俺に、ものすごく嫌そうな顔で現れた彼が二度とくるなと凄むのも予想どおりだった。嫌だと言い続けた俺に、じゃあせめて目立たないところで待ってろと舌打ちまじりで彼が譲歩してくれたのは、待ってるあいだに俺をじろじろ眺めていった生徒たちとあとは、未来の職場に対する彼の体裁のおかげだった。なにをするにもめんどくさいと言っていた彼がひとの目を気にするすがたは新鮮で、どこか滑稽だった。ざまぁみろと、つぶやいたこころは無知なふりの笑顔にかえた。
たしかな手応えを楽しんだのはその、いちどきりだ。

「今日は財布」

片手でキーをまわす。エンジンのかかる音を聞きながらもう片手で差し出したプレゼントを彼は、受け取ったその手で後部座席に放り投げた。
未開封のまま溜まるプレゼントは、これで四つめだ。飛び出てきそうになったため息をあやうく苦笑いに押しこめながら、サイドブレーキを解除した。ライトをつけて、アクセルを踏む。

「あっちーよなぁ、今日」

気分が滅入るのはだからって、天気のせいじゃない。はじめて待ち伏せた日から毎回用意したプレゼントを毎回受け取ってもらえないせいでもない。

「晋助さん、あちーのつえーほう?」

車に乗ってから家につくまで、彼がひとことも喋ってくれたことがないからだ。
目の前の赤信号に、ブレーキを踏むついでに盗み見た彼の、あの日とおなじどうでもよさそうな横顔とかえって来ない返事に俺は、三回目のため息を噛み殺さなきゃならなかった。



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金さんの車はドイツ車だといいとおもいます。外車でも燃費いいのがいいって
おねだりする節約家さんっぷりにマダムからの好感度アップってね。
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