遊びざかりの弟のことが、さいしょに思い浮かんだ。
終電を見送るまで遊び歩いたか、親と言い争ったか、単にわだかまりをぶちまけたいだけか、見せかけのためらいを皮切りに、泊まらせてほしいとかかってくる電話は時間も曜日も好き勝手だ。
遠慮を知らない銀髪のことをつぎに考えた。
ひとりで三人ぶんの生活を支えていたころはよく、バイトとバイトの合間、バイトと学校の合間、自分の家より近いからと、他人の家を仮眠の場所にしていくあの男が事前に連絡をしてきたことなんていちどもない。来るときはいつも唐突だ。
夜と朝の両方を秘めた、空は群青色だった。おなじいろに飲み込まれた部屋のなかを高杉は、だるいまぶたを半分だけこじ開けて、ひとまわり見渡した。それからゆっくりと、手さぐりでつかまえた携帯をつかみとった。
手のなかで白く点滅する年下の恋人の名前に、ため息で笑う。おまえを思い出したのはだから三番めだと、教えてやったらきっと、どうして自分がいちばんじゃないのかと拗ねるんだろう。抑え込むことしかできなかったいままでを、いちからやり直すつもりかと言いたくなるほどにできて間もない恋人は、高杉のまえでは感情的だ。褒めればはしゃぐし、きつく言えばうなだれるし、放っておけばすぐ拗ねる。
出会ったころよりよっぽどこどものようだ。こどものような一途さが、並の大人じゃ敵わないほどの金をあわせ持ったらどれだけ厄介なことになるか、はじめておもい知ったのは気まぐれに見た雑誌の、気まぐれに欲しいと言ってみた何百万もする時計を次の日、得意げな笑みで恋人が渡したばかりの合鍵と一緒にテーブルのうえに置いて待っていたときのことだ。
くれるというものを遠慮はしない。受け取るかどうかを決めるのは、ただ気に入るか気に入らないかだ。後部座席に積み上げたままだったものたちだって、それなりに趣味に合ったからいまは使っている。
だからって限度ってモンがあるだろ、俺がいつテメェに貢げっつったよ。店に時計を返しにいった帰り、車のなかで叱りつけたら恋人はだって、とたどたどしいこえでつぶやいた。だって俺、あんたに喜んでもらえそーなこと、ほかにおもいつかねーし。
俺はおまえの客じゃないし、おまえを客にした覚えもない、だから喜ばせることは義務じゃないと、言ってて馬鹿らしくなりながら教えてやったら恋人は、戸惑った顔をしていた。

「ほんとは、」

靴も脱がないうちからそう切り出した恋人の顔は、玄関とフローリングの境目にある段差ぶん、身長差を縮めてもらった高杉のちょうど真正面にあった。
早く帰りたいだの会える日が待ち遠しいだの、高杉の携帯には客が入れ代わる隙に送ってくるらしい他愛ない恋人からのメールが、ほぼ毎朝、起きたらいくつか溜まっている。
その数と泣き言の多さが、酔いの程度に比例してることにはそのうち気づいた。記憶が危ういほど酔っぱらったあかつきには仕事の帰り際、電話をかけてくることもあった。ろれつのまわらない、聞いてて吹き出したくなるような甘えたこえに高杉は、自由のきく日なら付き合ってやるし、眠る必要があればはじめから出ない。
今日はなんの用事もなかったから、出てやったら酒の気配のすこしもないこえで、申し訳なさそうに、いまから家に行ってもいいかと聞いてきた恋人は片手に、握りこまれてシワになったスーツのジャケットと、大きな封筒を持って高杉のまえにいま、突っ立っている。

「明日言おうとおもってたんだけど、我慢できなくて」

細いストライプのはいったスーツと、磨かれた黒い革靴と、黒いシャツと、酒と煙草と女のにおいを隙なくまとっておきながら、目を合わせたいのか反らしたいのかはっきりしない角度にうつむいた恋人の、切羽詰まった顔は隙だらけだった。
明日は水曜日だ。隣で眠っている恋人を見つける朝からはじまって、あってないような大学の講義と、夕方からのバイト以外の時間を、昼過ぎに起きてくる恋人と一日中、一緒に過ごす。
外に出るときは、客に教えてもらったらしい料理屋に恋人が高杉を連れていくけれど、家にいるときは、たいていの家事ならできるという恋人がふたりぶんの飯をつくるから、高杉自身ではひとつも使わない調味料や食器が家には増えた。

「客に不動産屋の社長がいてさ、」

恋人が、スーツのジャケットだけを反対の手に持ちかえた。

「暴力アニキから逃げたいっつって会うたびにぼやいて、今日やっとふんだくってきた。マンションの鍵、権利書ごと」

残った封筒に向けられた恋人の目は必死だった。必死すぎて、泣きそうにさえ見えるその目も、仕事では絶対に見せないことを高杉は知っていた。いつも気だるそうに、口説き文句ひとつ言わない、愛想の欠片もみせない男の興味をすこしでも自分に引きつけるために、客たちは競って金をかけるんだと、ヅラから聞いて高杉はいちど自分の目で確かめにいったことがある。
恋人からは見えない席でそのすがたをのぞいたあとで、タダ酒を飲みに来たと、ヅラに知らせに行かせたとたん小走りで向かってきた男の満面の笑みには、おもわず吹き出した。どんなにたくさんの人間に求められたって、決して高杉しか求めようとしない恋人を、いままで見てきたどんな女よりも高杉は、かわいいとおもう。
はじめて出会ったときには救いを求める目だった。はじめて抱かれたつぎの日には、唯一のものを求める目にかわっていた。かわった瞬間に気づいてしまったから、素直に抱かれてやったんだろう。酔っぱらっていてさえそう気づかせてしまうほどわかりやすく求めておきながら、すこしも自覚しようとしない鈍い恋人に高杉は、さいしょは呆れた。あとから苛つきになった。
自覚させたいまでも、たまに苛つくことがある。だってアンタすげー飽きっぽいじゃん。女の気配をしつこく探ってきた最後に必ずそう付け足す恋人に、けれどどんなに苛つこうと高杉はいつも、ふざけんなとしか言ってやらない。
見返りの絡む恋しか知らない世間知らずに、そうじゃないんだと地道に教えてやって、眠りを後まわしで泣き言だって聞いて、男の自分を投げ捨ててでもおなじ男のために足を開く、理由くらい、言わなくたってわかってもらわなきゃ困る。

「一緒に住もう」
「いいぜ、べつに」
「え?!」

どうして断られるとおもうんだろう。いいの?マジで?うそだろ?ほんと?と、立て続けにことばを重ねる恋人がようやくまっすぐ高杉を向いた。間の抜けた顔に、高杉は苦笑いを浮かべてやった。

「断る理由がねーだろ」
「や、だって、めんどくせェって言われっかと」
「荷造りだのなんだの、どーせオマエがぜんぶやってくれる気でいたンじゃねーのか?」
「そりゃまあ」
「だったら、面倒なことなんざなにもねェ」

まだどこか落ちつかない顔で、こたえを求めるように高杉を見つめる恋人の髪に、手を伸ばす。
まっすぐじゃないから嫌だと、恋人がいつも文句を言う金色の髪は、撫でてみたら取れかけのワックスでべとついて固まっていた。
好きなのは、自由に飛び跳ねる柔らかい手触りだ。台無しにされて高杉は、すこし不愉快になった。

「オマエのしてェようにすりゃいい」

恋人の目がいちどおおきく見開いた、つぎには、じわじわと嬉しそうに笑み崩れていった。
そのようすを目を細めて眺めていた隙に、無遠慮な恋人の両手がなんの前触れもなく高杉を引きずり寄せた。

「どーしよ、すげー嬉しい」

ため息のように、恋人のこぼしたことばが、Tシャツごしに高杉の肩口をかすかに暖める。
広い背中を両手で抱きとめてやったら、捕らえられた高杉のからだは恋人のからだに、もっと強く引き寄せられた。おかげで恋人がまとうワックスのにおいや夜の街のにおいも、もっと強くただよった。 まずは余計なものすべて洗い落とさせなきゃならない。べとついた金色の髪を、高杉は片手でひとふさつかみとった。
足のつけ根でためらいがちに彷徨いはじめた恋人のゆびを、ひっぺがしてやるためだ。



end.


そろばんたかすぎを引き金にノリではじめて、なぜかサイトでいちばん長くなりました。こっからさきはきっとどー転んだってラブコメになるんだろーなとおもいます。たかすぎ弟が小姑役でね!
たかすぎ受けは予想外に楽しいです。つぎはもっと受け受けしい受けたかすぎを目指してみたいです。いやでも女王さまも捨てがたい。まだまだ女王さまが足りない!


「パール」 by イエローモンキー


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