クリーム色のラグマットに、座り込んださきから高杉は死ぬほどの疲れを感じていた。

「…どっから説明してほしい?」

左隣に続けて座った銀時から、聞こえた声も自分と負けないくらい疲れてるんだと、気配を感じたところで顔をあげる気もおきない。はじめて入った彼女の家を見回すどころかむしろ、できることならこのままなにも見なかったふりで帰ってしまいたいくらいなのに、それを許してくれない子供じみた女の泣き声と、頭の悪そうな男の声に、現実逃避したい自分を必死で抑えて高杉は、嫌々ながら顔をあげた。
部屋いっぱいを照らす蛍光灯のしたで、散らばった空き缶に囲まれながら、寄り添ったおなじ顔を真っ赤に染めるふたつの生き物に、対面しなきゃいけないのが自分だけじゃないことくらいが、いまのささやかな救いかもしれない。出会ってはじめてかもしれない純粋な感謝を感じさせてくれた隣の男に向かって高杉は、聞きたくもないことを聞くためにくちをあけた。

「とりあえず、なんでコイツらがこんな酔っぱらってンのかを教えろ」

彼女の家のドアが開いた瞬間、目にした光景は明かりもついてない廊下で携帯片手に這いつくばってる銀時と、その腰に乗りあがってる彼女の兄と、おなじ男の履いてた綿パンを半分ずり下げてた彼女だった。

『っにやってやがるテメェはァ!』

一瞬忘れた声を、どうやって出すかおもいだしたとたん飛び出たここ何年かぶりに本気の怒鳴り声を、ぶつけたさきはもちろん彼女だ。銀時と彼女の兄がどこでどんなタダレたことをしようと知ったこっちゃない。ただそこにお前が紛れてるのはどういうことだと、掴みかかろうとした寸前、ところが彼女は大声で泣き出したのだ。

『にいさ…っんすけ、おこっ…っ』
『おれがわりーんだ…っおれが…っ』

彼女に続いてぼろぼろ男泣きをはじめた彼女の兄を前に、いったいなにが起こったんだと、呆然としていた高杉が、感情のたかぶりくらいじゃ説明できないくらいのキョウダイふたりの赤い顔と、それから酒のにおいに気づいたのは銀時が、たすかった、とうなだれる声と一緒だった。
足もとのおぼつかないふたりを、銀時と一緒に居間までかついで運んで、ようやくひと呼吸置いたのがいまだ。まったく泣き止む気配のない彼女と、泣かないかわりに今度は必死で彼女をなぐさめてるらしい兄のろれつの回りきってない説教を前に、ため息をつく以外することもおもいつかずにいたら、隣でライターをはじく音がした。

「いっつもみてーにさぁ」

そういや、タバコ持ってきてねェ。高杉は床に転がされた銀時のタバコを拾い上げて、一本抜き取った。
くちにくわえた拍子に、隣から差し出された火に黙って顔を寄せる。

「俺ととーしろうが飲んでたら、めっずらしくトシちゃんも飲むって言い出したわけよ。まぁオマエがいねーからヒマなんだろーし、別にいっかとおもって飲ましちまったのがそもそもの間違いだったっつーわけで」
「酔っぱらう前に止めろよ」
「止めるヒマもねェっつーの」

頭をガリガリかきむしりながらうつむいた銀時の顔が、もういちど持ち上がったときについてきたひとさしゆび一本に向かって、高杉は目を細める。

「…焼酎原液?」
「缶ビール。しかも自前イッキ」
「っはァ?!」

どーゆう弱さだよ。しかもそんだけ弱くてなんでイッキだ。全部の疑問を閉じ込めた音に、彼女のしゃくりあげる声が止まった。それに気づいた高杉が視線を合わせたとたん、彼女はもっと大々的に泣き出した。

「なくなトシ、いーかぁ、おとこってやつはなぁ」
「って、し…っけがっ」

あーもうやってらんねェ。目の前に転がっていた空き缶に灰を落としながら、高杉は止めようのないため息を吐き出す。
根をつめて仕事をして、やっと会えたとおもったらほかの男を脱がせにかかるわ泣き出すわの酔っぱらいだ。どうやって懲らしめてやろうなんて、もう考えるのもバカバカしい。酔っぱらい相手に本気になった自分が負けだと、認めてやるかわり、シラフに戻ったら二度と酒を飲まないように言い聞かせるつもりだ。
今日は相手が銀時だったからまだいいけれど、自分の知らない場所で知らない相手におなじ真似をされたら、理性がいくつあったって足りやしない。

「はじめのうちはよかったンだよ」

きりなくできあがりそうになったため息は、けれど銀時に先を越されて食い止められた。

「オマエのこんなとこが好きだーとかかっこいーとかノロけてさぁ。とーしろうも久々に妹にかまってもらえて嬉しかったンだろーな。機嫌よく酔っぱらってノロけかえしたりとかして、俺もなかなかイイおもいさせてもらってたわけ」
「どーせならそこで俺を呼べよ」
「や、マジでそーしときゃよかったわ」

そしたらこの大惨事も免れたかもしんねーよなぁ。言いながら銀時は、目の前のふたりの頭のうえにむかって吐き出した煙を、放心した目で追いかける。

「そのうち、スミの話になってよ。オマエのスミは自分のモンなんだって自慢しはじめたあたりでトシちゃん、オマエと会えてねーのおもいだしたみてーでさ。ぐずり出しちまったんだよ。仕事の邪魔はしたくねーけど会えねーのもやだっつって」

物わかりいいのも考えモンだよなァ。苦笑いで顔を向けてきた銀時に、高杉は、転がった空き缶に向かって眉間を寄せた。
会えなくなると言った自分に、ひとつも文句を言わなかった彼女が、言いたくても言えなかったんだと気づいてやれなかったのは自分のミスだ。
子供なぶん、負けず嫌いな彼女が余計大人ぶろうとすることなんてちょっと考えればわかったはずなのに、目先の仕事のことに自覚してる以上に気をとられてたんだろう。電話くらいならしてくればいいのにと、かすかな不満を感じていた自分が、とんでもない間抜けにおもえてしまう。
しないんじゃなくて、していいのかが分からなかった彼女に、自分からかけてやればよかったのだ。

「そしたらとーしろうのバカヤローが『だったら今日だけ銀時を貸してやる』とか言い出しやがってさぁ」

いままで相手の女まかせにしてきたツケがいまさら来たのかもしれない。アルコールと涙で充血しきった彼女の目を盗み見ながら、自分に向かって吐いたため息に高杉は、苦笑をまぜる。
おかげで彼女には振り回されてばかりだ。泣いてる女なんて無言で放り出してきた記憶しかないのに、気が強いくせして涙もろい彼女相手には、だから泣かれるたびにうろたえさせてもらっている。いい年こいてなにやってンだろォな、と、自分へ舌打ちする回数はいったいどれだけ積み重なったかもわからない。
振り回されてでも手元に置いておきたい時点で、もう諦めるしかないんだろうけれど。

「とりあえず俺のスミも見せろってとこからはじまってしまいにゃふたりがかりでチュウさせろだのなんだの、俺マジ貞操の危機を感じたわあの瞬間」
「残念だったな。貞操なんざテメェにゃ生まれたときからねェよ」
「そりゃオマエの、」
「トシ、」
「無視かよオイ…」

ぼやく銀時をそれこそ無視して、名前を呼んだら彼女は、一瞬おびえたように肩を強ばらせた。
それから恐る恐るのスピードで現れた彼女の涙でまみれた顔に、身を乗り出して伸ばした手はけれど、もうひとりの酔っぱらいの手に鷲掴みにされて終わった。

「うちのいもうとになにしやがるてめーはぁ」
「…銀時」
「わぁってるっつーの」

灰皿にタバコを押しつけて、銀時が立ち上がった。
向かったさきはふたりのこどもの背後だ。よっこらせ、とかけ声をかけながら、たいして重くもなさそうな素振りで男のほうのからだを引っ張り上げると、後ろ向きのまま別のドアのほうへと引きずっていった。

「あにすんだぎんときこのやろー。おれはなぁ、」
「はいはい続きはお部屋のなかで聞きますからねー。高杉ィ、」
「おー」
「せっかくだからトシちゃんオマエんちまで連れてけなー」

ドアの向こうに彼を押しやりながら、ひとの悪い笑みを浮かべた銀時に、負けないくらいの薄笑いを浮かべて返してやった。空き缶にこすりつけて、タバコを消す。顔をあげれば、ドアの閉まるほうと高杉とを彼女が、不安げに見比べていた。勝手に浮かんだ苦笑いのまま高杉は、彼女のためにからっぽにした両手で、彼女を抱き寄せた。
あっけなく倒れこんでくる彼女は、どうしようもなく酒くさかった。見上げてくる彼女の潤みきった目に、くちづけを落とす。彼女は、音がなりそうなまばたきを何度か繰り返したあとで、やけに無邪気な目を高杉に向けてきた。

「おこってねーの?」
「怒っちゃいねェさ」

飽きれちゃいるけどな。心のなかだけで呟いた高杉の気持ちなんか、すこしも知らずに、グチャグチャに濡れた顔が嬉しそうに笑う。
この顔に弱ェんだよなァ。おぼつかないしぐさで伸びてきた彼女の手を、高杉は自分の肩にうまく絡めてやった。間近にせまった彼女の顔を覗き込んでみれば、焦点の緩みがちな黒い目は、酔っぱらってても相変わらずまっすぐだった。

「ンなに寂しかったかよ」
「さみしかった」

言いながら、彼女が眼帯を引っ張りだす。うまくちからが入らないのか、何度もすべってしまう彼女のゆびに、引っ掻かれても、好きなようにさせてやった。白い布が床に落ちる。
露出した見えない目に、いつもみたいにもらったくちづけはやっぱりうんざりするほど酒くさかったけれど、見えるほうの目でみつけた彼女の満足そうな笑みを見たら、どうでもよくなった。

「しごとは?おわったんだよな?」
「…まぁな」

終わらせたことにしとくさ。彼女の赤く火照った頬に張りついた何本かの髪の毛を、うしろに戻してやりながら、ほとんど断定にちかい質問をぶつけてきた彼女に高杉は、こころのなかだけでつぶやいた。
とりあえず今日は彼女を家に連れて帰ろう。仕事をどうするかはそのあとだ。いつでも手のとどく場所に目の前のこの、待ちこがれたかわいい生き物がいたら仕事になる気がすこしもしないけれど、無理やりにでも打ち勝つしかない。いい年してみっともない自分を、受け入れる以外にもう道はないのだ。
はやく手を伸ばしたい自分のためじゃなく、伸ばしてほしいと言い出せない彼女のために、振り回されることを望んだのはなんたって自分自身なのだから。


end.


おにーちゃんはきっと寝てるとおもいます。

「彼女はパンク」 by ハイロウズ



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