ゲロ止まったらいくらでも相手してやっから。な?
いろんなものでドロドロになったからだをすり寄せてく銀時が、そう言ってさりげなく彼に遠ざけられたときには実はもう、吐くものなんかなにも残ってなかったのだ。
もとどおり便器の前にからだを備えつけなおしたのはただ、子供をあやすみたいにわさわさと頭を撫でてくれる彼の手が嬉しかっただけのことだ。自分がここにいるかぎり彼がつきっきりで構ってくれるんだろうと信じてた銀時を、潔く裏切ってさっさとリビングへ消えてった彼の背中を、見送る頃には羞恥心を思い出すくらいの正気だって取り戻していたわけで、マジかっこわりーよ俺、と便器に向かって頭を抱えるのはけれど、何十回目くらいでやめることにした。
酔っぱらいならではのアレコレっつーのもあるわけじゃねーか、と、取り戻した理性からひねり出した開きなおりに、まだ追いつかない足をふらつかせながらドアを開ければ、彼と、彼と同じ顔をした少女が、銀時と負けないくらいどろどろなうえに身動きひとつしないしかばねになった男の上半身を、二人がかりで持ち上げているところだった。

「あ、銀ちゃん」

記憶の片隅では閉め切ってあったはずのカーテンや窓は、いまではもう全開だった。日のひかりを受けたふたりの子供に銀時が、おもわず目を細めてしまったのは、振り向いた少女の無邪気な笑みが酔いつぶれた目にはあんまり爽やかすぎたせいもあるし、少女の清潔そうな手に汚れた男のTシャツがあんまり似合わなかったせいもあるし、テーブルのうえに順序よく並べられたたくさんの酒ビンへの申し訳なさとバツの悪さのせいもある。ただそれ以上に、男のからだを挟んだ反対側で彼が、男のくちのまわりを白いタオルで拭いてやってるのが、ものすごく気に食わなかったせいだ。
かわいこちゃんふたりはべらかしやがって。チビのくせに生意気なンだよコノヤロー。自分が放っとかれたぶんの八つ当たりも込めて銀時は、意識しないでもよろける足をさらによろけさせてみせながら、歩み寄ったしかばねの裸になった腹を、踏んづけた。

「ちょ、銀ちゃんっ」
「なにしてんだテメ、っうわ」

伸びてきた少女の手に、食い止められる寸前の二回目でしかばねが、ゲホッ、と苦しげに咳き込んだ、とおもった拍子にくちからどろっ、とナニかを垂れ流した。
あーあ、と、顔をゆがめながら彼が、あたらしくできた汚れをタオルでもういちど丁寧に拭っていく。それを見てあらためて湧いた苛立ちは、けれどみっともない男のすがたに相殺してやることにした。

「へっ、ざまみろチービ」
「っざまみろじゃねーだろ!」

浮かべた薄笑いはけれど、鋭く睨み返してきた少女の黒めがちな目にしょぼくれるしかなくなってしまったのだ。

「誰が片付けっとおもってンだ!テメェでテメェの面倒も見れねーくせにこれ以上余計な手間増やすんじゃねーよ!」
「…すんまっせん」

あれ、なんか俺、すげーワルモノっぽくね?こんなはずじゃなくね?しょーがねーなぁこの酔っぱらいめーとか、銀さんそーゆうバカップル的なノリ期待してたんだけど。無くしたことにするはずの理性をかえって全面に押し出すことになった挙げ句に、残ったのはどうにもならない居たたまれなさだ。ひとつの動作も見逃さないふうな少女の目をそっと避けながら銀時は、恐る恐るその場に体育座りをしてみる。これ以上邪魔しないという精一杯の意志表示を、信じてくれたらしい少女が銀時なんてはじめから居なかったみたいなあざやかさでしかばねのシャツを脱がしきるのに専念しはじめたものだから、銀時は居たたまれないのを通り越してみじめになった。
ちょっとはフォローしてくれるかもしれないと、盗み見たって恋人は湿ったしかばねのからだを黙々と拭くだけで、銀時のことなんか見てもくれないのだ。少女があたらしいシャツをしかばねに着せていく。ふたりがかりできれいに身なりを整えられていく男とは正反対に、銀時のTシャツもくちのまわりも相変わらずドロドロなままだ。口のなかは苦くて酸っぱくて、喉は痛くて、なにか飲みたいとおもうのに身動きしたらまた怒られてしまいそうだと、着実に取り戻されていく判断力にかぶさって襲いかかってきたのは、覚えのある脈打つような頭の痛みだった。銀時は、ちょっとだけ泣きたくなってきた。
ンだよもー、ちっと構ってほしかっただけじゃねーかよ。情けないのとみっともないのとうらやましいのと悔しいのとで、もう一回トイレに引きこもってやろうかと、真剣に悩みはじめた銀時と、それからテーブルを上手に避けながらふたりは、しかばねから冬眠中くらいにまではこぎれいになった男のからだを持ち上げてソファのうえに寝かせている。
どーせ俺なんざテーブルと同じ扱いですよ。あったら便利だけどなくても別にかまわねーっつうか足の小指ひっかけてイラっとさせちまうくれーときに邪魔モノですよ。いーよもう。邪魔モノは邪魔モノらしくトイレでブッつぶれてりゃいンだろ。石のかたまりで殴られてるみたいな鈍い痛みに、立ち上がりたくてもできないまま銀時は、両手を動力に正座したままの足を床にひきずりはじめた。
便器に頭つっこんでチッソク死してやらァ。あれ?チッソクって漢字でどー書くんだっけ。ひたすら増していく痛みにわけがわからなくなった頭が、背後から肩を掴まれたことに気づいたのは声が聞こえたあとだった。

「まだ吐きそうか?」

ああクソ、なんで立てねンだよ俺。チュウできねーじゃねーか。斜め後ろを見上げたさきで、つり気味の目を困ったみたいに垂れ下げる彼に、いつもならすり寄るだけすり寄っていってくちづけできたはずだ。いままでの不満ぜんぶを帳消しにするくらいの悔しさをバネに、なんとか伸ばした手だけじゃなくもう片方も合わせて彼に力いっぱい引っ張り上げられる。
立ち上がったとたん倒れ込んだ銀時のからだを彼は、汚れたシャツがこすりつけられるのもかまわずにしっかりと抱えてみせた。

「とーしろー、あたまいてー」
「そりゃ、耐えるしかねーな」

俺にはどーにもできねーよ、と苦笑いを浮かべながら彼が、汗や酒でべとべとになった銀時の髪を掻きまわしてくれるだけで、頭が痛いのくらいどうでもよくなるのだ。我慢するだけしたぶんようやく手に入れた嬉しさに、こぼれっぱなしの笑みを骨張った彼の肩にうずめたら、洗い立てのシャツのにおいがした。
脱がしてーなァ。うずうずしはじめる手をどうやって食い止めようかと、悩んだのはあくまで悩んだフリだ。酔っぱらいに悩みはねーのよ、と、思い出した開きなおりに勇気づけられてそっと、彼のシャツの裾を掴んだところで銀時は、少女と目が合った。
あ、やべ、バレてる。わざと気弱に笑い返してみた銀時に、少女がみせたのは子供のくせに大人びた苦笑いだった。好きにしてくれと、言葉のかわりにそらされた少女の目は、ソファのうえの青い顔にあっという間に釘づけになる。おかげで今度は銀時が苦笑いを浮かべるばんだ。
ったく、さっさと目ェ覚ましてやれっつーの。そして死ぬほどヘコみやがれこの寝ゲロヤロー。自分の大好きな顔とおなじ顔を健気にゆがめる少女のために、できることは情けないすがたをさらした男を呪ってやるくらいだった。少女に負けないくらい銀時だって、彼に釘づけにさせてもらいたいのは昨日を見捨てられたぶん余計で、痛む頭のなかはもう、いつになったらチュウさしてもらえンのかな、とか、はやく二人きりになんねーかな、とか、つまりはそんなことばっかりだったのだ。
持ち上げた顔はけれど、後ろ髪を引っぱられたせいで彼の顔にすり寄せることはできなかった。

「吐かねーなら風呂行くぞ」

どこもかしこもゲロくせェ、と、つぶやいた彼に、歯向かえる権利なんてどこにもない。よろけるからだを支えてもらいながらたどり着いた脱衣所で、手際よく銀時のシャツをはぎとっていく彼に銀時は、ガンガン鳴り響く頭から逃げたい一心で湧いてきた眠気に抵抗しながら、気がついたらわごとみたいに、とーしろー、と呼んでいた。

「ンだよ」
「ちゅうしてェんだけど」
「冗談じゃねェ」

歯ァ磨いてうがいしてから言いやがれ。乱暴に言い捨てておきながら銀時の鼻に噛みついてきた彼が、悪ガキみたいな顔で笑ってくれたおかげで、慌ててつかみ取ることになった歯ブラシの柄にマヨネーズのロゴが入ってるのを知ったのはくちのなかに突っ込んだあとのことだった。アイツに泣かれたくなかったら新しいの買っとけよ、と苦笑いする彼の鼻に、噛みつき返してやるくらいじゃとてもおさまらなかった銀時が彼の服を奪い取っても、彼は、しょーがねーなぁ、という顔で笑うだけだった。
やっと手にはいった彼の、からだじゅうに噛みつくたびに漏れるちいさな声が、シャワーの音に散ってしまうのさえ銀時は惜しかった。唾液ごと自分のものにしてしまおうと、夢中で繰り返した雑なくちづけに彼は、犬みてェ、と言ってまた笑った。


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ぎんさん必死だな!
最後まではヤってないとおもいます。たぶん。



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