交通量の多い一般道で飛ばすのははじめてのことだ。時刻はちょうど帰宅ラッシュ。ほとんど渋滞にちかい列のあいだを切り抜けるにはスピードなんて出せなくて、銀時はジリジリした。かわりにサツに見つかることはなかった。まさかこんな時間から走り出すとはおもわないんだろう。銀時だって考えたこともない。
長距離トラックだけがまばらに走る海沿いの国道にようやく出た瞬間、アクセルを全開にまわした。マフラーがいちどブォンッ、と大きく吠えたのを合図に、最高速度だ。ほこり混じりの風が頬を叩く。それまで背後に寄り添っていたたくさんのエンジンの音が、気がついたら遠くなっていた。
唐突に大きく道がカーブしたところで、スピードは落とさなかった。アスファルトすれすれまでからだを倒す。いびつな音を立てるタイヤの焦げたにおいに、引き寄せられるように危うく横倒れにふっ飛びそうになったって、怖いだなんてこれっぽっちもおもわなかった。あの子が傷つくこと以上に怖いものなんて、世界中のどこに存在するっていうんだろう。
指定された倉庫には、使われてる気配がなかった。薄気味悪く汚れた正方形のコンクリートの箱に、ひとつだけついた木の扉は腐ってささくれていた。勢いにまかせて単車でそのまま突っ込んでやろうかともおもったけれど、約束の時間まではまだ数時間ある。もしかしたら中に誰もいないかもしれない。そんなところに派手に登場したってただのバカだと、焦るばかりの気持ちを抑えて銀時は、エンジンを切った。
土と木くずでできた地面に降り立ったところで、チームの連中がつぎつぎに追いついてきた。全員が地に足をつけるのを見届けてから、片手を背中にまわした。木刀を取り出す。誰もなにも喋らなかった。緊迫した静けさを引き連れて扉を、開いた。

「ずいぶん早いじゃねーか」

湿気った空気を吸い込んだ、ほぼ同時に聞こえた男の声は笑いを含んでいた。
明かりのひとつもない闇に、たとえ目が慣れてなくたって気配と、それから音ならわかる。誰かの足音がした。きっとさっきの声の男だ。目を凝らす。数メートルさき、男がひとり立っているのがぼんやりと見えた。そのさらにうしろ、無造作に積み上げられた貨物のうえに十数人。人数だけなら銀時たちと変わらない。

「テメェら、土方くんになんか悪さしてねーだろーな」
「できるわけがねェでしょう」

別の男のため息まじりのその声に、目をむけたさきにはずいぶん幼くみえる少年がひとり、貨物の隅にだらしなく座っていた。それがわかるほど慣れてきた目で、もういちど最初の男に視線を戻す。きっとこの男がアタマだ。だったら手っ取り早くこいつをつぶせばいい。
そのほうが仲間に無駄な怪我をさせなくてすむと、木刀を持った手にぎゅっと込めた力は、ところがもういちど抜くハメになった。

「…え?」

男も木刀を持っていた。じぶんたちと対照的な真っ黒い特攻服に、前をはだけた上着のしたは銀時とおなじくサラシひとつ。
薄いくちびるには好戦的な笑み、後ろに流した真っ黒な短い髪に全開の瞳孔はどう見たって。

「ちょ、ェええ?」

銀時の大好きな土方くん本人だったのだ。

「さすがにテメェの大将つぶすわけにゃあいかねンでねィ。俺はいつでもぶっ殺してェけどな」
「なんか言ったか総悟」
「幻聴じゃねェですかィ?被害妄想もいい加減にしてくだせィ死ね土方」
「幻聴でもなんでもなく言ってんじゃねーか!」

さっきの少年と言い争うあの子をまえに、銀時の頭は人生至上最高の回転をはじめていた。えーと、俺は土方くんを助けにきたわけで、土方くんを助けるためには土方くんを倒さなきゃなんねーわけで、あれ?じゃあ俺の土方くんはいったいどこにいるのかな?まるで出てこない答えを求めてぐるぐるぐるぐるまわっていた頭がとうとう走馬灯を見はじめたころ、言い合いが終わったようだ。とてもあの子とはおもえないあの子が、ものすごくニヒルな笑みを浮かべて銀時を見ていた。

「なぁ坂田、いや、いまは白夜叉か」

坂田って言ったよね?いま坂田って言ったよね?ってことはやっぱりこの土方くんはあの土方くん?いやでもこの土方くんがあの土方くんって、ぇええ?なんてパニックから抜け出しきれない銀時をよそに、カチッと音が鳴った。赤いひかりがひとつぶともった一瞬のあいだに、浮かんだ目の前のあの子はやっぱりどう見たってあの子だ。 薄いくちびるの、端でくわえたたばこにあの子が赤をうつす。あれ?たしか土方くんって風紀委員だったよね?なにその手慣れた手つき。煙を吸って、吐き出すまでの自然な流れを食い入るように見ていた銀時にあの子の、たばこを持ってないほうの手が木刀の切っ先を向けてくる。

「テメェの無敗伝説、悪いがここで終わらしてもらう」

貨物のうえにいた連中がいっせいに立ち上がった。とおもったら、銀時の背後からも殺気の気配。そっと振り返ってみたなら、鉄パイプだの木刀だのを頭上にかかげたすっかりやる気いっぱいな白夜叉軍団。

「ちょ…え?」
「行けェ!白夜叉の首とったれェ!」

あの子の立派な雄叫びを皮切りに猛然と突撃してきたたくさんの男どもと、

「白夜叉ナメんじゃねーぞコラァ!」

サルからイノシシへみごと変化をとげた白夜叉軍団に囲まれて銀時は、

「ちょ、…ぇええええ?!」

ひとり孤独に現実の厳しさと戦わなきゃならなかったのだ。
扉の隙間から、いちばんカッコいい登場のタイミングを見計らって覗き見していた高杉があの子の勇姿をまえに、

「惚れた…」

なんて呟いたことは、アニソンを聞くのに夢中だった黒づくめでさえ知らなかったりする。





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「サギだ」

体育館裏のちいさな庭は、銀時にとって絶好の穴場スポットだ。日当りがすこし悪いせいかひとは来ないし、芝生はよく手入れされてる。一本だけ植えてある桜の木の木陰に寝転がって雀の鳴き声をBGMにしても、ところが今日のこころはキラキラ輝く青空と正反対の薄暗さだった。

「テメェが勝手に勘違いしてただけだろ」

たとえ隣にあの子がいたって、いやいるからこそ余計に真っ暗だ。木の幹に背中をあずけて座るあの子の頬には絆創膏。きのう銀時の木刀が掠めた場所だ。
つまりきのうのあの子は、現実だ。

「俺はもとからこんなモンだ」

聞き慣れた低い声が不機嫌そうに言い捨てる。昨日までの銀時なら必死で、なんかやらかしたかな俺、なんてふうに焦りながらご機嫌取りに努めてただろう。でも今日は打ちのめされた自分を慰めるだけで精一杯、というか、そもそも機嫌の悪い理由は銀時自身だ。
ケンカは白夜叉の勝利だった。たしかにはじめのうちは混乱していた銀時も、予想外のあの子の強さに途中から闘争本能がよみがえって、気がついたら本気だった。本気の銀時に煽られたのかそれまで劣勢だったチームの連中も一気に盛り返して、チーム白夜叉の無敗伝説はみごと守られることになったんだけれど、銀時はちっとも嬉しくない。
だって、清純派のかわいいあの子はもうどこにもいないのだ。族のアタマでヘビースモーカー。じつはとんでもないマヨラーだとしても、チーム名の『I』は『愛の戦士マヨラサーティーン』の『I』だなんて胸を張って言えるセンスの悪さだって、まだ認知できる。頑張って認知できるようになった。
昨日は予想外なことばかりでテンパってしまったけれど、銀時だってアタマを張ってるしたばこも吸うのだ。糖分好きは土方のマヨネーズに退けをとらないし、センスうんぬんはこの顔でカバーしてあまりあると、相変わらずモロ好みな顔を目にした今日の朝、しっかり復活した恋心はけれど、一瞬で破き捨てられた。

「あれがぜんぶ演技ってよォ…」

全開だったボタンは、締めてくれるどころか無言でローキック。
風紀担当の教師にはこいつ、たばこのにおいします、なんてチクられて、おかげで朝からひとり校門のまえで身体検査だ。
疲れ果てたこころとからだを抱えて教室にもどったあかつきにはすれ違いざま、ザマぁみろ、と吐き捨てられて、完全にキレた挙げ句の大乱闘。担任が止めに入ったとたんいかにも、いきなり殴りつけられたんです的な怯えっぷりを披露した土方は無罪放免。銀時だけが生徒指導室行きだ。貞淑な新妻が実は性悪女王様だなんて、世界中の新婚さんも成田離婚だ。

「あんなモンに引っかかるほうがどうかしてんだよ。テメェさては童貞だろ」
「てめ、童貞バカにすんな!」

フン、と鼻で笑った土方にイラッときた勢いで銀時はからだを飛び起こした。

「童貞はなァ三十過ぎまで守りとおすと妖精さんになれんだよ!」
「夢精の間違いだろ」
「むせ、っおまえその顔で夢精とかゆーなよ!台無しだろ!」

俺の土方くんが台無しだと、ブツブツ言いながら銀時が頭を掻きむしっていたらふいに、たばこのにおいがした。
なんだよテメーだってヤニくせーじゃねーかと、言ってやろうとおもってあげた顔の、数センチさきにあの、相変わらずきれいなままの顔が。

「童貞食うのもたまにゃあイイかもな」

清純派の名残すらない土方の、ひとりごとじみた囁きとその、やらしい笑みは童貞の銀時にとって、猛毒だった。身動きがとれない。見てるだけで勃ちそうだ。正直ちょっと勃った。
べつにもう性悪でもよくね?性悪なうえにインランとか、オトコのロマンじゃね?順調に近づいてくる土方の、うっすら閉じた瞳はしっとりと潤んだまま笑っていて、なんだかすべてがどうでもよくなった。よろしくお願いします!な心意気で力いっぱい目を閉じたところに。

「ちょっと待ったァ!」

昔なつかしの名ゼリフをかかげて高杉が、両手いっぱいにでかいクマのぬいぐるみを持って現れたのだ。

「悪ィな銀時、そいつは俺の、」
「テメェ、高杉か!」

いままでのイイ雰囲気を銀時もろとも突き飛ばして、土方が立ち上がる。あんなに濡れてエロかった瞳はすっかり好戦モードだ。
いつもどおり最後まで言わせてもらえないながらも、相手にされただけでも奇跡だった高杉は一瞬、嬉しすぎて泣きそうになったらしい。ぐっと歯を噛み締めて、それからそっと目を伏せた。伏せたまま、土方に歩み寄って手のなかのクマを差し出した。

「まずは交換日記からお願いします」
「は?」

ほんのり頬を染めた高杉を、意味がわからないという顔でながめる土方を見つめながら銀時は、割って入ることも立ち上がることもできなかった。毒の余韻に呆然としてたせいとあとは、土方とは違う意味でおもにムスコさんがすっかり戦闘モードに突入していたからだ。
初体験はやっぱ海の見えるホテルでどーよ、いやでもまずはデートからだな。なんて童貞心いっぱいの銀時の夢と野望が、高杉のまわりくどすぎることばの意味を理解した土方の、

『なんなら、ふたりいっぺんに相手してやってもいいぜ?』

に儚く砕かれるまであと、もうすこし。


end.


メインテーマは報われないぎんさんとノリノリひじかたくん、そしてばかばかし杉です。
いちばん可哀相なのは間違いなくぎんさんだとおもう。


「Young oh!oh!」 by 岡村靖幸



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