「っあーもーうるっせェよチクショー!」

しつこく鳴り続ける目覚まし時計の音に、銀時は目を閉じたままからだだけ跳ね起こした。爆発しきった天パをかき回しながら、首がのびきったTシャツと柄パン一枚で向かうさきは右隣の部屋に面した壁だ。壁紙のつぎめが剥がれたボロっちい壁を銀時は、力いっぱい蹴り飛ばす。

「さっさと止めろよおっさん!寝てらんねーんだよこっちはよォ!」

ゴメナサイギートキサン。いつもどおりの寝ぼけた片言が聞こえて、それからようやく音が止む。ギートキじゃなくてギントキだっつうの。何回言ったらわかんだあのおっさん。銀時はため息とあくびをセットで吐き出しながら、返事がわりにもう一度だけ軽く壁を蹴った。
パンツに突っ込んだ手で足のつけ根をガリガリ掻きながら、洗面台を兼ねた台所までは大股三歩。築二十年のボロアパートは、八畳一間で月五万。隣に住む国籍不明の出稼ぎ外国人が、毎朝きっかり八時に鳴らしてくれる目覚まし時計のおかげで銀時の朝は嫌でも規則正しい。
平日はともかく、学校のない日曜日にまで叩き起こされると死ぬほど腹が立つけれど、中華料理店にいまは勤めてるらしい彼が週に二、三度、サシイレダヨ!とにこやかに店の残りを分けてくれるから、あまり強く言えないままだ。
銀時に家族はいない。物心ついたときにはもう、近所で飲み屋をやってるババァが親代わりだった。十七になるこの年までうまいこと生きのびさせてくれて、いまでも家賃だけは払ってくれてるそのババァにせっつかれて、しょうがなく通ってた高校は、ところが高二の始業式からパラダイスに変わった。
恋をしたのだ。同じクラスの転校生にひとめ惚れしたその日から、銀時の朝は勝負の朝だ。
顔を洗って、歯も磨き終わったところで、部屋の角につみあげてある収納ケースに向かう。首よりすこし低いその山の、てっぺんにたたずむ手のひらサイズの鏡は薬局のおばちゃんからプレゼントされたものだ。
これ見てすこしはその頭どーにかしなさい、なんて憎まれ口を叩いておきながら、渋柿色の頬をほんのり染めたあのおばちゃんが銀時に惚れてるのは明白だったけれど、正直嬉しくない。どうせなら若い女の子がいい。なのにどーして俺のまわりにゃ年増とドMばっか寄ってくんだ、なんて苦悩は、それでもあの子に出会ってからはどうでもよくなった。
年増だろうとドMだろうとニューハーフだろうと、たとえ寄ってきたところで銀時の目にうつるのはあの子だけだからだ。いつかあの子をきっちりオトしてきっちり童貞を受け取ってもらう日をおもえば、自由奔放な銀髪をおちつかせるくらいすこしも苦じゃない。テレビのCMで覚えたラブソングを鼻歌に、今日も銀時は鏡に向かう。
手ぐしで大雑把に後ろへ流してから、鏡の横に置いたヘアワックスを手にとる。髪全体に塗りつけながらぎゅうぎゅう押しつけて、どうにかオールバックのようなものが完成したら、つぎは着替えだ。パジャマ代わりのTシャツを布団のうえに放り投げて、収納ケースから順番に服を取り出していく。
ボタンを全開にした学ランの下は真っ赤なTシャツ。腰骨より下でベルトを締めたズボンに、ゴツいシルバーチェーンは標準装備。ポケットにはチュッパチャップスと煙草に小銭、それから、惚れたあの子にいつか使う日を夢見てコンドームをひとつ。
よれよれのスポーツバッグに携帯と今週のジャンプを放り込んだら最後に、木刀を一本背中に仕込み、そうになったところで思い出した。もう使わねーって決めたばっかじゃねーか。持ち手に洞爺湖と刻んである木刀をそっと壁に立てかけなおして、玄関へ向かう。
スニーカーを履きながらいってきまーすと声をあげれば、イテラサーイといつものように片言が返ってきた。今日の五限はサッカーだ。カッコよく決めてあの子にイイところを見せてやろう、なんて決意を胸に茶色いドアを開けたなら。

「はよーざっす!」

総勢十人のむさ苦しい短ラン野郎の群れが、二列になって待ち構えていたのだ。

「…なにしてンだオメーら」

一瞬覚えためまいに耐えぬいて、潜めた声に銀時はドスをきかせる。

「ここにゃあもう来んなっつっただろーが」
「けどアタマぁ、」

と、一列めにいたスキンヘッドが弱々しく声をあげた。といったって、日をいっぱいにあびた頭は強くたくましく光り輝いていた。すでに凶器だ。額に手をかざして銀時は日陰をつくる。そうじゃなきゃ、目を合わせることもできやしないのだ。

「いきなり抜けるっつわれても俺ら納得できねっす」
「そーっすよ!アタマがいなきゃあ俺ら、俺らこれからどーすりゃ…!」

二列めのデブが感極まったように声を詰まらせた、のにつられたのか、ほかの連中までが一斉に嗚咽をもらしはじめた。なにコレ。新種の儀式?秋晴れの空のした、リーゼントやらモヒカンやら金髪やらマスクやら、協調性なんてひとつもないくせして一点集中で勢揃いしたうめき声に銀時は、せっかく固めた髪を無茶苦茶にかき乱したくなる衝動を必死で食い止める。
ババァの飲み屋で働いている元ヤンの兄ちゃんが、おさがりでくれた四百CCは原色イエローに炎のマークだった。
やたらと長い背もたれに、背すじが反り返りそうなフロントフォークをはじめて見たときにはこんなもん誰が乗るかとおもったものだ。
だからってまともに買えば二十万は固いらしい高価なものを、笑顔ひとつでくれた好意をおもえば乗ってやたいと、バイク屋のオヤジに指導を受けながら地道にカスタムをはじめたのが中三のころ。無駄なパーツを全部取っ払って、現れたネイキッドに渋いメタリックシルバーを塗り直してからは、中免を取れる日がどうしようもなく待ち遠しかった。実際待てなくて、夜中に空き地でこっそり乗り回すのが日課だったりもした。
免許証をもらった日なんて、一日中そのへんを走り回ったものだ。そのうち一般道じゃつまらなくなって、中心地をすこし離れた山道にはじめて攻めていった高一のころ、休憩に立ち寄ったコンビニの駐車場で因縁をつけてきたヤンキーどもを、ゴミ箱のまえに落ちてたビールの空き瓶でぶん殴ってやったのが伝説のはじまりだった。
なにかと懐いてくるようになったそのヤンキーどもと一緒に峠を突っ走るようになって、そいつらが呼び寄せたヤンキーとさらにその仲間のヤンキーたちが気がついたら銀時を『アタマ』と呼ぶようになって、おなじコンビニで愛車を蹴り飛ばした酔っぱらいを半殺しにしたら『白夜叉』とあだ名がついて、あだ名がそのままチーム名になった時にはもう、チーム『白夜叉』の初代『アタマ』として銀時は県内の暴走族たちから目をつけられていたのだ。
自分の身は自分で守るしかない。それに、負けるのは腹が立つ。幸い、小さいころに習っていた剣道は人並み以上の腕前だったから、闇討ちだのシマ争いだのに巻き込まれるたびに正面切ってケンカをして、勝って、集会をして、またケンカをして、単車に乗って、たまにサツに追われて、を繰り返してるうちに銀時は、疲れてしまったのだ。
自分はただ走り回りたかっただけのはずなのに、どうしてこんなことになったんだろう。荒っぽい毎日に銀時がちょうど疑問を抱いてたころだった。目の前に、あの子が現れた。
そうだ。あの日から決めたのだ。目の前のかわいくないけれどかわいいかもしれない舎弟どもの、すこしもかわいくない泣き落としに流されてしまいそうなこころを叱りつけて銀時は、厳しい目をそっと閉じる。
バカだけど人なつっこいこいつらと、大騒ぎしながら愛車を走らせるのは確かに楽しい。ケンカも嫌いじゃないし、つくったばかりのころは真っ白だった特攻服も、血しぶきやら謎のシミやらでいい感じにハクがついた。洋品店のおばあちゃんが目をしょぼしょぼさせながら縫ってくれた背中いっぱいの『白夜叉』の刺繍が、夜明けと夜の狭間で金色に輝くのを見るのは大好きだ。
けれど、自分にはもっとほかにやることがある。常に背後の気配を探って、木刀を忍ばせる毎日は名残惜しいけれどもう、さよならだ。

「俺は、愛に生きる」

アタマぁ、俺らそれ季節の変わり目ごとに聞いてンすけど。ボソっとつぶやいたスキンヘッドには、黙って肘鉄を食らわせておくことにした。


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書いててこんなに楽しいのは久しぶりです。



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