鼻先をくすぐるなにかにくしゃみをして、目覚めた俺のまえにはふわふわうずまく銀髪があった。寝起きの薄目が勝手に見開いた。
衝動のまま起き上がろうとして、けれどむきだしの俺の肩に、のしかかった彼のむきだしの片腕のせいで動けなくなったのは、なんの得にもならないことに気づいたからだ。彼を起こしてしまうし起こしたら、この腕が離れてしまう。
慎重にひとつ、息を吐いて、浮いたあたまはもとどおりよりもうすこし、彼から離れた場所で落とした。まくらの端にぎりぎり引っかかるくらいの場所だ。あまりおさまりはよくなかったけれど、彼の腕を動かすことなく、彼を眺めるにはちょうどいい距離だった。
うつぶせで、顔だけ斜めに俺を向く彼の頬はシーツのうえに強く押しつけられていた。そのせいでゆがんだくちのあいだから、規則正しくこぼれる寝息がまるで空気の抜けたタイヤみたいに、ふしゅー、とちいさく鳴っていた。
そのくせなにかに悩んでるみたいに、けわしく寄った眉間がひどくまぬけで、おもわず笑った。笑い出したらとまらなかった。彼の腕のなかで、彼の寝顔を眺めて、笑っていられることが嬉しくて俺は、笑わずにいられなかった。
だってずっと好きだったひとだ。高校に入ったときからずっと好きで、けれど言うことなんてできなくて、見透かされてるような気がして、担任じゃなかった二年のころまでは限られた彼の授業のあいだ、まともに顔をあげることもできなかった。黒板を向く彼の、背中ばかり眺めていた。
三年になったらこんどは、喜びと恐怖のせめぎあう毎日が待っていた。点呼や授業で当てられるたびに変なあだ名で呼ばれて、怒れば楽しそうに笑う彼から、目を反らしたくない自分を知られないよう、うまく顔をそむけることができたかいつも不安だった。からかいざま気まぐれに触れてくる彼の手に、こわばってしまうからだを隠すのに必死だった。
何度も、彼のからだやこえを思い浮かべて自慰をして、罪悪感に死にたくなって、それでもセックスには興味があった。誰でもよかった。彼じゃないなら誰だっておなじだった。もし誰かに見つかって、学校中にバレて、彼にバレても、一年くらいならきっと耐えられる。そう覚悟して夜の街に出ていったくせに、彼に見つかったときには絶望で、息も忘れそうだった。
理解のあるようなことばは教師としてのただの義務で、彼の目に潜むのは間違いなく軽蔑だと、信じたくないのに信じるしかなかった俺のまえに、現れたのは、いままでの記憶のなかでいちばん優しい彼の目だった。

「…ぶっさいく」

つぶやいて、ようやく締めくくることのできた笑いの名残を残したまま、好き放題に散らばる彼の髪をひとふさぶん、そっとつかんでみる。
閉め切ったカーテンが、光をさえぎる部屋のなかに、淡い明かりを灯すような彼の銀髪はやわらかいんだと、なんの躊躇いもなく彼にじゃれつく同級生たちのおかげで知ってはいた。
それをいま、自分の手で確かめられることに、得意になってる自分がいた。俺は俺だけのものにした。大勢のまえで共有するやつらとはちがう。うらやましいなんて、二度とおもってやるもんか。ザマみろ。
おなじいろの無精髭がまばらに顔を出していて、それにも触ってみたかった。さすがに起きるだろーな。悩んでいたら、彼の顔がいかめしそうにゆがんだ。
赤い目が、すこしずつのぞきだす。
開いてるのか開いてないのかよくわからないところで開くのをやめた彼の目を、俺は妙に身構えながら見つめていた。彼がかすれたうなりごえをあげた。俺と反対の方向へ寝返りをうった、その拍子にひるがえった彼の腕が、ふたりぶんのからだから掛け布団をうばいとった。
お互い下着一枚だ。取り返さなきゃ寒いと、起き上がりかけた俺よりさきに勢いよくからだを起こした彼の、穿いてるトランクスに、おもわず吹き出した。

「っ、ンだそれ…っ」

ピンクの生地に赤いいちごなんて、馬鹿みたいな柄にさえ気づくだけの余裕が昨日はなかったんだろう。
気づいてたら雰囲気もなにも台無しだと、おもったら余計笑えてきた。ふたたび倒れこんだからだをうつぶせにして、こらえきれない笑いごえを枕に吸いとってもらう。
彼の手が、俺の髪をグシャグシャとかき混ぜてきた。振り返ったら、相変わらず開ききらない目としかめっ面で俺を見る彼がいた。こいつどんだけ寝起き悪ィんだよ。いっそ感心して、引っ込んだ笑いに、彼の手が離れていく。
天井に向かって大口のあくびをしながら、おなじ手で飛び跳ねたうしろあたまを掻きむしる彼にならって俺も、シーツのうえに座り込んだ。掛け布団は、さりげなく独り占めだ。

「飲みモン」

あくびの延長線上にあるふやけたことばを、すぐには理解できなかった。
持ってこいってことだろうか。それともただのひとりごとだろうか。返事が必要なのかもわからずにぼうっとしてた俺を、めんどくさそうに彼が振り向く。

「なにがいい」
「え、や、あるものならなんでも」
「いちご牛乳、かポカリ」

なんだその二択。また吹き出しそうになるのを、俺は必死でおさえなきゃならなかった。

「じゃあポカリ」
「んー」

これ以上ないくらいだるそうに、彼が立ち上がる。目覚めきってないわりにはやけにしっかりした足取りで、遠くなる後ろすがたを、追いかける。下着はやっぱり馬鹿みたいな柄で、なのに、いろのしろい背中は広くて、手なぐさみにあたまをかく動きに合わせて、浮き出る骨に、おおいかぶさる肉はなまめかしくたくましかった。
このからだにきのう、抱かれて、これからも抱いてもらえるのが、幸せだった。そうおもう自分が気恥ずかしかった。優しく抱いてくれたんだとおもう。比べる誰かなんて俺にはいないけれど、久しぶりに呼ばれたほんとのなまえはいままで知ったどのこえより、優しくて熱かった。見慣れた黒板の斜めに跳ね上がった白い文字からは想像もできないくらい、撫でてくれる手は丁寧だったし、汗にまみれた彼の顔は苦しそうなほど真剣だった。
赤くなってねーよな?熱くなった頬を片方、手のひらでさすりながらそれでも、彼の背中に呼び起こされる記憶に、浸りたかったのに、数センチ張り出した壁の端にガツっ、とにぶいおとを立てて、足の小指をぶつける彼相手じゃ、そんなヒマもない。

「だ、っ、だいっ、」

だいじょうぶかと、言い切ることもできないほど笑ってしまうこえを、抑えようと努力しただけ褒めてほしいとおもう。いってェ、と彼のつぶやくこえがした。きのうみせた頼もしさとやらしさを、いったい彼はどこに落としてきたんだろう。別人じゃねーのか。

「笑ったらデコピンな」

しわくちゃなままの寝起きの顔を、うらめしそうにゆがませて、偉そうに俺をゆび差しておきながらこどもみたいな脅しをする彼の、拗ねたそのこえがとどめだった。片足をひきずる彼に笑って、変ないちご柄にまた笑って、もどってきた彼の片手にかかげたコップいっぱいのいちご牛乳にはもっと笑った。
ほんとにデコピンされたお返しに腹に蹴りを入れてやったら、負けじと掴みかかってきた彼の頬をおもいきりつねってやった。できあがったブサイクな顔にまた笑った。はじまったばかりの今日、俺は、笑ってばっかりだ。
ブサイクなまま、しょうがないなというふうに笑った彼が、くちびるにくれたキスには照れくさくて、しかめっ面しかできなかったけれど。


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ひじかたくんnotメンクイ説。
この調子でいちゃいちゃで。いっちゃいっちゃで!



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