独り隠れて泣くすがたが彼には似合いすぎた。だからこんなに苛立たしいんだろう。正体不明の香辛料で真っ赤に染まったせんべいと一緒に、銀時はいま、自分の感情の出どころをゆっくりと噛み砕いている。
静かな夜だった。建物何階かぶん、たったそれだけ離れた地上には、夜の騒がしさに食いつくされた街がある。
銀時にとってのそれが当たり前の夜だ。なのにいま、彼に隠れて身を任せているこの場所には、涙声が鼻をすする音に入れ替わったところで相変わらず、丸聞こえに変わりないくらいの静けさがあった。
暗い星空にうす白く照らされたコンクリートの床と壁は、寝そべるように寄りかかった銀時のからだを脈々と冷やしていた。けれど自分とは対照的な姿勢のよさで立ちつくす彼の後ろ姿も、錆びたベンチのわびしさと傾きかけた物干竿のおかげでじゅうぶん冷たそうにみえた。だからこそ苛立たしい。彼がわざと、そんな冷たい場所を選んで泣いているのを知っているからだ。
真選組だのメンツだの、そんなものは正直どうでもいい。
ただ彼の、護りたいもののためにすべてがある生き方は自分とおなじなんだと知ったのは、二度目の出会いのことだ。
護るためには命だってかけるのもおなじで、他人に任せる気なんて端からないのもおなじ。そしてそういった行動基盤には必ずついてまわる、自力で制御不能の頑固さだとか融通の利かなさまで当然おなじだった。
矛先を決めれば同時に勝手に沸き上がる、本能に近い感情のかたまりを、あかの他人に目の前で裸にひん剥かれてはじめから終わりまで再現されるなんて、なけなしの羞恥心に対する暴行で、だから苛立つんだろう。顔を会わせるたびに苛立って、からかってやることで気を紛らわしてるんだろうと、今まで、彼女が死んだ今日このときまで、銀時はおもっていた。
ずるずると鼻をすする音がやんで、代わりにぱりんっと乾いた音が銀時の耳を襲った。がりがりと乱暴に噛み砕かれるせんべいと一緒に、彼はいったいどんなものを飲み込んでいるんだろう。沈みかけておいてまた浮きあがってきた苛立ちに、銀時は限界を感じた。
彼が夜空に背を向けいつもの日常へと足を踏み出すまではせめて待っているつもりでいたけれど、もういいとおもった。もとから忍耐なんて小指の先くらいしか持ち合わせていないのだ。むしろ、いままで待っていられただけ褒めてほしいと、ささいな衣擦れの音を引きつれて銀時は立ちあがった。そして、空を見上げていちばんはじめに目についた星に、わりぃな、と謝った。

(あいつさ、俺がもらうわ)

愛して愛された彼の拒絶の背中を見送った彼女は、想いに追いつかない弱い身体を受け入れるだけの強さを持っていた。
自分にそれだけの強さがあるかといわれたら、はっきりあると言えるだけの自信はない。その代わり、彼女にはなかったものが自分にはあって、それらはきっと、彼女が泣きたいほど欲しかったものだ。
黙って見送るなんてほんとうはとても悲しかっただろう。手に入れることのないまま消えていく自分自身が、ほんとうはとても悔しかっただろう。
彼と背中を預けあって闘うだけの強いからだと、今ここにいられるだけのいのち、泣いてる彼を抱きしめてやれるだけの両腕があることは、なんて幸せなことだろう。
膝に散らばったせんべいのかけらを払い落としながら、銀時は彼の背中へ音もなく一歩を踏み出した。気配を消すのは簡単だけれど、今はわざと消さないでおこうとおもった。
どのくらい近づけば彼は自分に気づいてくれるだろう。気づいてそれから、どうするだろう。驚くだろうか。それとも、涙をこすった赤い目元をいつもみたいに鋭くとがらせて、なにしに来やがったとすごんでみせるんだろうか。想像する必要もないくらい見慣れた彼の表情をおもって、銀時は唇に笑みを浮かべる。

(なにしに来やがったって?そんなもん、腹立つからに決まってんじゃねぇか)

似ているのは認めてやろう。
だからって彼ほど不器用なつもりもないのだ。護るために浴びる血も、その背にのしかかる罪の重さも、全部ひとりで抱え込んで誰にも言わず黙って耐え忍んでやるなんて、馬鹿じゃないかとおもう。苛つくのはそのせいだ。
もうあと一歩の距離に彼がいた。気配に気づいたんだろう、鋭敏な彼にしては遅いタイミングで振り返るそぶりをみせたその骨ばった肩に手を伸ばしながら、銀時は自分が悪役じみた笑みを浮かべているのがわかった。

(打ちのめしてやろうじゃねぇか)

ともに護りあうだけの強さと、もうすぐ振り向かせてやれるだけの時間を持ったいのち、それから、冷たいからだをあたためてやれるだけの両腕で、打ちのめしてやろう。自分ひとりが苦しめばいいだなんて、そんな身勝手で傲慢な優しさでできた彼が立ちなおれなくなるくらい、ただぐだぐだに甘やかして、抱きしめて。
愛の言葉だとか恋だとか、人の温もりだとか、いのちをつなぐためにはこれっぽっちも役に立たないような、けれど心を暖めてくれるような、そんなものどもを、彼に叩き込んでやるのだ。

(俺も、成長しねぇなぁ)

予想どおりの表情と、予想よりずっと痛々しかった彼の目に手のひらをぎゅっと握りしめ向き合いながら、銀時は、苛立ちの正体を見いだす前のバカな自分を殴ってやりたいとおもった。

(ほんと、バカじゃねぇかな俺)

好きな子ほど苛めたくなるなんて、いったいどこのガキだよ。


これがあたしのおもう馴れ初めです。

「悲しみのロージー」byクロマニヨンズ
inserted by FC2 system