三つ後ろの席にひとり、禁煙席にいる二人連れは両方とも。
タバコ片手に、ぼうっと視線を漂わせただけでも、意識が勝手に同類をカウントできるようになったのはあのひとと付き合うようになってからだ。夜十時を過ぎた休日前のファミレスに、カップルだったり夜遊び開始直後の学生集団だったり仕事前の水商売の連中だったりが、たむろうのはよく見る光景だけれど、そのなかにまぎれる同類の割合がいつもより多いのは、場所がらなんだろう。あの人の家から歩いて十数分のこの店は、あの人と偶然出会った夜の街からも歩いて来られる距離にある。
酒が入ってるのか普通の会話にしては大きすぎる声ではしゃぐ彼らが、俺にとっては誰にも知らせることのできない、罪悪でしかなかった事実を、どうやって克服してるんだろうと想像したところで結局、最後にはただ、幸せだったらいいとおもう。残り少ないコーヒーをすすりながら、俺は真っ暗闇の窓の外を見た。店中に輝く蛍光灯の光から逃げるためじゃない。興味もないBGMから解放されたいわけでもない。暗闇をものともしない銀色を、少しでもはやく見つけるためだ。
ただの罪悪を一緒に分かち合う秘密に変えてくれたあのひとを、ずっと好きだったあのひとを、当たり前の顔で待ってられるいまの俺みたいに、彼らも幸せだったらいい。
学校では相変わらず先生でしかないあのひとが、二人きりになったとたん、とうしろう、と呼んでくる、気だるいのに甘い声には、最近になってようやく慣れた。
けれど廊下ですれ違いざま、あいさつやからかいついでに髪や、肩に触れてくる手には、いまだに慣れない。慣れないことをあのひとも気づいてるんだろう。いちいち顔を赤くしたり言葉をつまらせる俺にむかって、楽しそうに目配せしてくるあのひとに、悔しいけれどなにも言い返せずにいるのは、わからないからだ。言い返されるほうが嬉しいのか、それとも、言い返されるのは気に入らないのか、あのひとはどっちが好きなんだろう。
奇跡みたいな恋をあのひとに叶えてもらってから、もうすぐひと月が経つ。
ひと月で、あのひとが甘いものを異常なほど好きなことを知った。おもってたよりも甘えたがりなことも知ったし、少しいじわるなことも知った。料理が上手なことも知った。
キスをする直前の目とか、セックスのときの息づかいとか、触れる手とか、声とか、そういうものなら目をつむっただけで思い出せるくらい知りつくしたのに、どんなヤツが好みで、どんなヤツが嫌いで、どんな言葉に喜んで、どんなことをされたらうっとうしいとおもうのかは、まだなにも知らない。
どうすればあのひとに嫌われないですむのかなんて、最近、そんなことばっかり考えている。

「わりーわりー、遅くなった」

少しだけ乱れた息とともにあらわれた彼の言葉に、俺はテーブルの上の携帯を見た。ちょっと遅れる、と書いてあった最後のメールから、もう三十分くらい経ってたんだと知ったところで、俺にはどうでもよかった。
アンタのこと考えてたらあっという間だったとか、たかが三十分くらいアンタに会えんならいくらでも待てるとか、そんなことを言ったら喜んでくれるんだろうか。それとも重たいとおもわれるんだろうか。わからなくて、結局曖昧な笑みだけでやめておいた俺の頭を、向かいのソファに座りざま彼は、クシャクシャかき混ぜながら、ごめんな、と笑ってみせた。まるで犬や猫でも可愛がるような仕草と表情だった。でもそれでよかった。少しでも愛着を持ってくれてんならそれでいい。
軽く浮かせた尻のポケットから、彼がタバコの箱を取り出す。
テーブルに投げ出されたその、ほとんどゴミみたいにひしゃげた箱のロゴは、俺の吸ってるのと一緒だ。アンタのこと好きになってから同じの吸うようになったんだと、はじめてセックスした日、もう同じじゃなくなってたタバコの箱を眺めながらふいにつぶやいた俺の言葉に、ただでさえ寝乱れてもさもさの頭をもっともさもさ掻きまわしながら、もーなんなのオマエ、とこぼした彼が、照れてるんだと知ったのは、突然のくちづけのあとだった。次の日からまた同じになった。このさきもずっと、同じならいい。

「オマエなんか食った?」

箱とおなじくらいつぶれたタバコをくわえて、彼が言う。

「や、まだ」
「うわ、待っててくれた?」

ごめんなぁ、腹減っただろ。言葉に込めた気持ちをあらわせるだけの慌ただしさで、彼がテーブルいっぱいにメニューをひろげだす。メイン料理が載ってるほうを俺に、デザートメニューを自分の目の前に置いてから、彼は満足げにタバコに火をつけた。
天井に向かって煙を吐き出すついでに足を組む彼の、いつも変わらないその気だるげな空気が、学校で見るとひどく違和感があるのは、夜のにおいがするせいだ、なんて、彼とこうやって外で会うようにならなきゃずっとわからなかっただろう。
昼より夜のほうがずっと似合うことも、メガネをしてないほうがずっと若く見えることも、よれたネクタイや白衣より計算づくの緩さを持ったジーンズや気持ちだけロゴの入ったTシャツのほうが、ずっとカッコよく見えることも、全部、学校のヤツらは知らない。知らなくていい。俺だけ知ってりゃいいんだから。

「言い訳してもいい?」

注文を聞き終えたウェイトレスが遠のくのを見送って、つぎに彼は俺を見た。
大人のくせに子供の俺の機嫌を伺う彼の、情けない顔が、俺よりよっぽど子供みたいで、口元が勝手に緩んだ。

「なんの」
「遅れた理由」
「別に、気にしてねーし」
「えー?それはそれでつまんねーんですけどー」

なんだ、気にしたほうがよかったのか。なんて、何気ない彼の言葉に後悔するのはもう、数えるのもめんどうなくらい繰り返したことだ。いちいち彼の顔色をうかがう自分にイラつくのは、けれどちょっと前にやめた。いまはただ、少し、疲れる。
すべり落ちそうになったため息を俺は、タバコの煙と一緒に吸いこんだ。

「言いたきゃ言やいいだろ」

かわりに吐き出せるのはいつも、自分でもそっけないとおもうほどの捨てゼリフだ。
ンだよ、かわいくねーなぁ。たいして気にもしてないふうに拗ねてみせる彼の、やっぱりいつもどおりのひとことに口では、ウッセェ、なんて返しておきながら、ほんとうは、俺より心持ちあつぼったい彼のくちびるを、短くなったタバコを消しつぶすふりで盗み見るのに、精一杯だった。アンタのその、たったひとことに俺が、目も合わせらんねェくらい怯えてるなんてこと、アンタすこしも知らねーだろ。

「ここ来る途中にさ、」

彼の声は、予想どおり俺の内心とまるでちぐはぐな軽さだった。

「すげー昔の知り合いに出くわしちまったわけよ。俺が高校くらいんときから通ってたバーの店長やってるヤツなんだけど、そいつがまたとんでもねーおっさんでさぁ」

ああ、イヤだな。俺は薄笑いを張りつけながら、聞いてるそぶりをなくさない程度にうつむいた。
彼はたまに、こうやって過去の話をする。馬鹿げた失敗談や笑い話で、俺を笑わせてくれようとしてるのは分かるし、その気持ちは嬉しいけれど、そのなかに当たり前のように登場してくる彼の、過去のオトコの存在を、彼とおなじくらい平気な顔で聞き流すには、覚悟が必要だった。だからそんなときは必ず、自分のゆびを見た。
俺ってけっこう形にこだわるタイプだからさ、なんて言って彼がくれた、彼の髪とおなじ色の指輪は、もらって以来滅多にはずしたことがない。
教室だったり部活だったりで、さんざん探られたりからかわれたりしたのははじめのうちだけで、いまではもうあって当たり前のものになった。当たり前になったことが嬉しかった。彼のものでいてもいいと認められた気がした。
同時に彼が俺のものだとも教えてくれるその証拠が、ちゃんと俺のゆびを縛りつけてくれてることを確認して、それから、同じものが彼の胸元に細い鎖のさきでぶら下がってくれてるのを、思い出さなきゃ、耐えられなかった。だって、過去のヤツらが過去なのは、アンタがそいつらを捨てたからだろ。だから俺といるんだろ。俺が、そいつらとおなじように捨てられねェ保証なんて、どこにもねーだろ。
教師の顔とはちがう、無邪気さの混じった笑顔で話す彼に、上の空をうまいこと隠した相づちで返しながら俺は、タバコの箱を手に取った。中から一本取り出す、その拍子に、ゆびのうえで鈍く光るその、ちっちゃな金属を撫でた。ずっとここにあればいいと、おもうのに、そのためになにをすればいいのかが分からなかった。
どうすればアンタは、俺を捨てねェのかな。


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高校生で初恋ってゆったらどーなっちゃうのかな、って考えたら、なんか
やたら切羽詰まったかんじになりました。
だらしない銀さんとか、ちょっと痛々しいひじかたくんを見たくない場合は、
この次から見ないほうがいいかもしんないです。
ハッピーエンドです。それは間違いないんだけど。も。


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