「機嫌悪いっスねー」

教室に入ったとたん、おはようよりさきにそう言った親友が、彼女にはいつも以上に頼もしくみえた。いっぱいにちからのこもっていた眉間が一気に緩んだ。
近くにあった誰かの机にかばんを放り投げて、彼女が勢いよく親友の胸に飛び込んだら、あとずさりながら支えてくれた親友のおおきな胸が、シャツごしに彼女の額のしたでやわらかく揺れた。

「もーやだ」
「さっそくケンカっスか?」
「ちげェ。けどやだ」

背中をぽん、ぽん、と優しく叩いてきながら、おなじだけ優しいこえで親友の、あーあ、と笑うこえがした。まーたあいつらいちゃついてるよ。なんてクラスメイトの男のこえが、教室のどこかから聞こえてくるのはいつものことだ。うらやましいくせにと、言ってやるかわりに彼女は、目の前のやわらかいものにもっと顔を押しつけて見せびらかしてやった。
きれいな金髪と、ネコみたいな青い目をした親友は彼女の自慢の親友だ。
恥ずかしくて誰にも言えない、彼には特に言えない秘密のきもちをゆいいつ打ち明けてきた親友には、いままでたくさんのグチや不安を聞いてもらってきた。彼が後輩と付き合いだしたと知って、死ぬほど落ち込んだときには一日じゅう慰めてもらったし、別れたと知ったときには、こっそり一緒に喜んだ。
昨日の彼女が、家に帰ってからほとんど呆然としたあたまでいちばん最初におもいついたことだって、この親友に電話することだった。
携帯ごしに喜んでくれる親友のおかげでようやく、なにが起こったのかを実感したとたん今度はどうしよう、とそればっかり繰り返しはじめた彼女を、地道に落ちつかせてくれたのも親友だ。そうじゃなきゃ、今日のための準備なんてとても手につかなかったと彼女はおもう。結局、ひとつもうまくはいかなかったけれど。
彼にどんなに話かけられても、恥ずかしさを押し隠すのに精一杯で、まともな返事もできなくて、そのうち彼も黙り込んでしまった朝のことをおもいだして彼女は、ひどく心細くなった。 いままでどおりにならいくらでもできる。けれど、それは彼女の望むものじゃなかった。
ほんの数ヶ月だけれど、彼の隣を占領したあの後輩みたいに彼女だって、かわいく笑って当たり前のように、彼と手をつないで歩きたい。

「また子、」

彼女が、自分よりだいぶ背の高い親友を見上げると、反対に親友はすこしうつむいて、顔を近づけてくれた。

「今日はあいつ来てンのか?」
「二限から来るって言ってたっスけど」

来なきゃいーのに。おもわず吐きだしそうになった本心を飲み込むために、彼女は親友から目を反らす。
ほんのすこし前から、親友が付き合うようになった男は彼とおなじ隣のクラスだ。一途に男を想う親友のために、男とそこそこ仲のいい彼をけしかけて四人で一緒に昼を食べるようにしむけたのは彼女だった。親友は喜んでくれたし、彼女自身も彼と一緒にいられる時間が増えたし、それがきっかけで親友は男とうまくいった。
彼に負けないくらいだるそうな態度と、恐ろしく目つきも愛想も悪いその男の隣で、幸せそうに笑う親友を見たら彼女も幸せな気分に、いつもならなれた。でも今日は、なれない気がした。
廊下のいちばん端にある空き教室が、昼にいつも四人で集まる場所だ。ぐちゃぐちゃに畳んである暗幕を絨毯がわりに、当たり前の顔で寄り添って座る親友と男を前にして、いつもどおり教科書二册ぶんくらい、間を空けなきゃ、彼の隣には座れない自分が、彼女には簡単に想像できた。意識してないふりで、必死に彼から目を反らしながら、昨日と変わらず今日も、近い距離で、すこしのぎこちなさもなく、目をあわせて話すふたりをうらやましいとおもわなきゃならない自分は、きっととてもみじめだ。
どうしてみんなこんなに簡単に、変わることができるんだろう。彼女がそっと、視線を持ち上げてみたら、目が合った親友はきれいな、こどもっぽい顔をして笑った。彼女の好きな、見慣れた笑顔だ。目の前のこの親友やあの後輩と、自分の、なにが違うっていうんだろう。
彼をおもうきもちなら、誰にも負けてないはずなのに。


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