桜の木を植えるんだ。男は言った。 子供の数だけ庭に、桜の木を植えるんだ。青い空に桜の花びらが舞い散るのを、春になるたびみんなで縁側で眺めて過ごすような、そんな家族にしたいなぁ。 ただ広いだけの汚い廃屋で、ひび割れた徳利片手に、えらの張った顔を赤く染めた男は銀時よりいくつか年下だった。かみさんもいねェくせになに言ってやがる、とまわりにいた男たちに野次を飛ばされても、染みのついた天井を男が、細い目をもっと細めてながめるのをやめなかったことはいまでも覚えている。けれど、男の名前は覚えていない。昨日はじめて見た顔が明日には血まみれのまま土に埋もれていくのが当たり前だった、そんな日々のいつかの夜に、銀時の出会ったその男は一週間後、腹を刺されて戦場で死んだ。 硝煙と土ぼこりが舞い散る草原の、真ん中に立って銀時が見上げた空は、どこまでも灰色だった。 「ひーじーかーたーくーん」 障子ごしに呼びかけた声に、返事はかえってこなかった。銀時は寝起きでぼさぼさの頭をすこしだけかきむしった。 それから手のひらで適当に撫でつけたところで、やっぱりなにもかえってこないのを確認してからもういちど開いたくちはけれど、突然開いた障子のさきに目をこすりながら現れた男の、きれいな仏頂面に、ひ、のかたちのまま食い止められた。 「あれ、寝てたのオマエ」 「…暇だった」 暇だったから寝てたのか、寝てないけれど暇だったのか、いったいどっちなんだろう。掴みきれない少ない言葉のほんとうの意味は聞かなくても、背中を向けた彼のしわの寄った黒いベストと気持ちだけ飛び跳ねた後ろ髪にもらうことになった。銀時はもういちど頭をかくついでに、こっそり笑った顔をうつむける。 銀時が屯所に来るのは毎日というわけじゃない。 銀時にだって仕事はあるし、いつ来ても彼がいるわけじゃない。だから予測がついてる外出に関してはちゃんと教えてもらうことにしてるんだけれど、それでもたまに突発の仕事かなにかで彼がいないのに来てしまうこともあるから、そんなときには、そのへんにいる隊士と世間話をしたり、茶菓子を好きなだけむさぼって時間をつぶしてから帰ることにしている。おかげで通いだした当初はなにしに来たんだと丁寧に尋問してくれてた門番たちも、いまではこんにちはのひとことでなかに入れてくれるようになった。 暇つぶしか、もしくは食べ物をたかりに来てるとでもおもってるらしい彼らに、土方くんがいなきゃ誰が来るかこんなムッセーとこ、と言ってやりたかったことは何度もある。だからって、いちいちマダオからAVをかっぱらっておすそわけの言い訳をつくる手間よりは黙って受け流してるほうが楽だし、それ以上に、彼のこんな気を抜いたすがたを独り占めできるのなら、たかが暇人かたかりにおもわれるくらい銀時にとってはどうでもいいことなのだ。 「マジでなんもねーの?」 だいぶ見慣れた彼の部屋は、相変わらずタバコのにおいが漂っていた。後ろ手で障子を閉めながら盗み見た机のうえには、電灯と筆記用具、タバコの箱と灰皿とそれから、マヨネーズ型のライターがあって、けれどいつも山をつくってるはずの書類の群れが今日はどこにもなかった。 「ねェ。びっくりするくれーねェ」 ひどく長いため息をひとつつきながら、彼が机に背中を向けてあぐらをかく。長い前髪のしたでぼんやりと畳をにらむ目はほんとうに暇そうに見えて、銀時はまたこっそり笑った。彼の向かいにおなじようにあぐらをかいて座る。 寝癖のついた黒い髪に手を伸ばすのと、ほぼ同時に、彼のからだが前のめりに傾いたおかげで、銀時は畳に片手をついてふたりぶんの体重を支えることになった。 もう片手で肩に乗った黒い頭を、支えながら撫でたとたん、聞こえてきただるそうなうめき声に銀時は、とうとう喉を鳴らして笑う。 「そんなにヒマならオメー、うち来りゃいいのによ」 そしたら死ぬほどかまい倒してやンのに。耳元でわざと低くささやいた言葉はけれど、アホか、の一言で切り捨てられた。 前ならもっと動揺してくれたのに、と、身じろぎひとつ見せてくれない彼を残念がったところで、ここまで慣らしてしまったのが自分なんだとおもえば、苦笑をこぼす以外できることもおもいつかない。 自分のものになってほしいと彼に言ってから、どのくらい経ったのか銀時にはもうわからない。わからなくなるくらい予想外に、ここまでくるには時間がかかった。 もっと甘えろと言えば言うほど意地になって彼が拒むのは最初のうちにわかったことで、だからって放っといたらいつまでも寄ってこないものだから、結局、あくまで銀時がそうしてほしいと願ってるふうを装いながら地道に手なずけていかなきゃならなった、警戒心とプライドの固まりでできた彼は、最近ではたまに、ほんとうにたまにだけれど、拗ねた顔まで見せてくれるようになっている。だったらつぎはどんなことをさせてみせようかと、たくらむのがいまの銀時の楽しみだ。 くせのない、自分より硬めの髪を手のなかにすくったり、またこぼしたりして遊んでいた銀時に、彼が笑う気配をみせる。 「こんなんでも勤務時間中なンだよ俺は」 「じゃあ勤務時間終わった瞬間スタートダッシュな」 「余計無理だな」 どうして、と、銀時が聞くより彼の、ちいさなため息が漏れるほうがさきだった。 「夜にゃあ、デケー捕り物が待ってる」 なんでもないふうにそうつぶやいた彼に、へぇ、とつぶやき返した声が、負けないくらいなんでもないふうに聞こえてくれたか銀時には自信がなかった。 ひとを殺した日の彼は、殺さなかった日となにもかわらない顔を銀時にみせる。 からだに傷をつくって帰ってくることも滅多にないから、聞かないかぎりはなにをしてきたのかなんてすこしもわからない。わからせないだけの強さを彼に見せつけられるたびに、もどかしさで息がつまりそうになるのは、傷つく場所がからだだけじゃないことをいやになるほど知ってるからだ。 彼が浴びてきたたくさんの血の、なかには根本から腐った連中もいただろう。そんな奴らに同情してやるほど彼は甘い人間じゃないけれど、だからって、それだけじゃないだろう。浴びた血のなかには家族や、仲間や、信念を守るために戦っている誰かもいて、そいつらが彼にとって味方ではないんだと、頭では理解できたとしても決して、敵でもないんだとおもえるだけの感情があるからこそ、奪った命の重さに傷つくのは彼の、こころだ。 血を浴びれば浴びるほどこころは傷ついて、けれどその苦しさを誰かとわかち合おうとはしないのが彼なんだと、わかってはいる。わかってはいても、それでもこうして甘やかしてやる以外になにかしてやれることはないんだろうかと、もどかしくなるのをやめられないだけの、銀時にだって感情がある。 じゃあなにをしてやれるんだろうと、考えたところで銀時は、天井を見上げた。 縦横に走る古びた茶色い梁を、見上げたまま、彼のからだごとじぶんのからだを畳に引き倒した瞬間に聞こえた、うぉ、と間抜けな声に、ちいさく吹き出したすぐあとに、彼が勢いよくからだを起こす。 「っにすんだテメ、」 「土方くんさぁ、」 瞳孔の開いた鋭い目とともに真正面から振ってきた拳を、受け止めながら銀時は言った。 「今度一緒に温泉でもいかねー?」 「…はァ?」 一瞬見開いた彼の目が、つぎには見知らぬものを見るように細められる。 お返しにへらっと笑ってみたら彼は、わざとらしいくらいの大きなため息を合図に結局、元通り銀時の肩のうえに頭を落ち着けることになった。 「ったく、ほんとなんなんだテメェは」 「やーだって、良くね?露天で月見酒とかさぁ、男のロマンじゃね?」 おなじく元通り彼の後ろ頭に落ち着けた手と、反対の手を、畳のかわりに彼の背中におさめる。黒い布ごしにわかりずらくなった彼の骨のかたちを手のひらで確かめながら、もういちど天井を見上げた目は、あの日の男とおなじように気がついたら細まっていた。 青い空と桜色の花びらを、見れる日が来るなんて男はすこしもおもってやしなかったんだろう。おなじ景色を前にしたいまにならわかる。 ただ、忘れたかっただけだ。逃れられない目の前の現実から一瞬でも解き放たれるために、男が見た夢は、だから叶うことなんてすこしも期待されてない夢だった。夢を見るために見た夢だった。 だったら彼も、夢を見ればいい。 たくさんの血や、命や、傷や、覚悟だとか使命だとかしがらみだとかに押し潰されてしまいそうなときには、来ないかもしれない明日の夢を見ればいいんだと、無防備に甘える彼を、無条件に甘やかしながら、教えてやることが強い彼にいまの自分ができるきっとすべてだ。 「…言っとくけどな、」 ぼんやりしていた銀時は、自分の手が振り切られていたことを彼のその声ではじめて知った。 ふたたび真正面にあった彼の、ひどく険しくしかめられた顔に、おもわずつられて寄りかけた自分の眉に気づいて吹き出しそうになる。 「酔いつぶれてノゾキに走ンのは男のロマンのレベル越えてっからな。犯罪だからなそれは」 「だいじょぶだいじょぶ、ふたりでやりゃ怖くねーって」 「それこそカンペキに犯罪者の心理だろーが!」 「あーもう、わかってねーなーオメーはよォ」 飽きれたふりで顔いっぱいにかざした手の隙間から、銀時は細めた目をのぞかせてみる。 すべてを忘れて夢を見ることを、教えてくれたいつかの男は、戦場で死んでいった。男の名前もいまはもう覚えてないけれど、男が、夢を見たことはきっと、忘れないだろう。 忘れるんだとしたらそれは、彼がいなくなるときなんだと、悲しい確信を胸に銀時が、三度目に見上げた景色に、青い空は相変わらずどこにもなかった。 end. ゆめをみーよーおぜーベイベー。 「ALRIGT」 by The birthday |